文明化されたワイングラスの持ち方(?)。【ワイングラスの科学その1】

 前稿のワイングラスの持ち方について「正しいワイングラスの持ち方はボウルの部分を指先で持つ。でいいのでしょうか?」と問い合わせがあった。

 とりあえずそう思っていただいて間違いない。もうしばらくの間は。

 ブランデーグラスのように持ったり、コップのように本体を握りしめて持たなければ問題ない。過去も今後も。

参考リンク:第8回:ちょっと待て! その持ち方は「ブランデーグラス」|マンガでわかるワイン入門|ワインアカデミー|キリン

 さすがに↑のように持って飲んでる人は見たことがないが(笑)。

 時代的な傾向を含めて詳しく書くと、古典的な教科書では「日本人は脚を持つ、欧米人はボウルを持つ」と解説されてきたが、「wine manner glass」とグーグルで画像検索すると解るように、欧米でも脚または脚とボウルの付け根を持つように教えるのがスタンダードになった(多分この30年くらい)。

 温度変化に敏感なワインを飲むなら脚を持った方がいいのは当然なんだが、この変化には理由がある。

 まずワイングラスの製造技術が向上し、脚が丈夫になったこと。

 ボウルの大きいモンラッシェグラスなどに適量以上(すなわちボウルの膨らみよりも上まで)にワインを注ぐと結構な重さになって、昔のワイングラスの強度では細い脚を持ってスワリングすると脚が折れることがあった(ロブマイヤーは今でも繊細なので注意が必要)。だからこぼして他人のドレスを汚さないようにという意味でボウルを持つ方が無難だった。

 ※ということからも昔のグラスはボウルが小さく脚が太かったんだが。今はその正反対。

 そこで重要なのは、適量に注がれていれば問題が起きないということ。どういう店または環境で飲むかという生活水準が関わってくる。

 時代と共に(リーデル社などの貢献が大きい)グラスの科学が進化し、ワインをどこまで注ぐべきかが定まり、それに合わせて手の位置が定まった。同時に製造技術の向上によりグラスの強度を気にせずワインの温度変化による味わいを優先事項として考えられるようになった

 90年代くらいまでの映画・ドラマなどを観ると結構上の方までワインが注がれていることが多く、これでは当然脚(特に下の方)を持つとフラフラし安定しない。要は物理の話。

 ※古い世代の人が現代の「適量」注がれたグラスを見ると「少ない」(店がケチ)と感じることがある(らしい(笑))。そこから世代によって感覚が違う。

 という変化がある。

 「適温」が赤よりも低い白ワインや、温度が上がると美味しくないシャンパンなどは言うまでもなく脚を持つ方が良い。だから私はビールもシャンパングラスで飲むことが多い。

 ボウル部分を持つ理由として良く挙げられる「立食パーティーなどでこぼさないように」はもっともなのでTPO優先だが、アジア人の小さい手でモンラッシェグラスのような丸いボウル部分を囲うように持ってしまうと、むしろ滑って落とす確率が高いため、日本では脚(またはボウルの付け根あたり)を持つ文化が先に浸透したと考えられる。グラスが手垢だらけになると美しくないという“綺麗好き”も関係しているだろう。

 特に日本のように湿度が高い上に生魚やシーフードを食べる場合、白ワイングラスを温めると時間と共に雑菌臭が増すため環境的選択がある。ミネラルウォーターも硬水は臭くなりやすいので、日本が軟水であることに必然性がある。

 そして何よりも欧米では文化水準の格差が激しく、日本のように割と均等な水準でサービスを受けられるわけではなく、そもそも適したグラスが用意されるか、香りを引き立てる大きなグラスが用意されるか、そこに“適量”注がれるか、ワインは適温で提供されるのかという条件をクリアした状態で飲む人の方が少ない。だから未だに「スワリングで味が変わるわけない」「グラスで味は変わらない」と思っている人が多い。その結果、アメリカのドラマではワインとグラスがちぐはぐだったりする。

 教養格差は所得格差でもある(欧米は特に)。

 例えば下記のサイトは「文明化されたワイングラスの持ち方」と名付けている(笑)。

 ※動画の女性のアクセントから、恐らくアメリカのサイトだろう。

 そこに「Don’t worry, it’s totally socially acceptable to swirl your wine.」とわざわざ書き添えられているのは、スワリングすると「え?」という顔で見る人がまだそれなりの数入るということ。海の向こうでは。その点日本では過去のワインブームもありスワリングが一般化しているので文明的だと言える(笑)。

 最終的には科学が指し示す通り脚を持つ方向だが、逆に日本人は「脚を持つのは日本人だけ」を見聞きしてボウル派に切り替える傾向も見られる。わざわざ逆走する必要はないんだが自信がないのか欧米への憧れが強いのか。

 ※これはチップに対する考え方の変化に似ていて、チップ文化だったアメリカはサービス料へ移行しようとしているが、一方サービス料で来た日本はチップの導入を検討しようという流れがある。

 で、欧州ドラマは皆ワイングラスの持ち方が美しいのに対し、アメリカのドラマはコップのように持つ人が多いのは、ジェニファー・ローレンスが言うところの「イギリス人男性ってマナーとかいろいろ知ってていいわよね」が全てを物語っている(と私は思う)。

 育ちが良ければ(グラスを選ぶような家で育てば)時代の変化に合わせて自然に最適解に辿り着くところが、そうでない人はそもそもグラスで味や香りが変わるわけがないと思っているのでワインの持ち方も変わるはずがない。と言える。そこはお金を持っても変わらないのだろう。

 リーデル社の写真(ソムリエではなく女性達)を見ると、完全に脚を持たせたいことが伝わってくる。

 ということから現代人(文明人(笑))は脚を持って飲むことをすすめるが、古典的な人達が多い環境では(多分注がれるワインの量も多いので)冒頭の「ボウルの部分を指先で持つ」が無難かもしれない。香りもみつつ、空気も読むのがイチバン。

 言い換えると、何(誰)に気兼ねする必要もないドラマの高級レストランでディナーを楽しむシーンにおいて、なぜファッションだけ最先端を追い求めるのかと問えば、物事の本質を見極めている人はそう多くないことが見てとれる。

 その辺に少しづつ変化が見られる。アメリカのドラマに。

 ちょっと話は逸れて。

 10年以上前の話だが、ある欧州の女性と食事をした際、シャンパンも白ワインも脚を持って飲んでいたその女性が、赤ワインからボウル部分を持つようになったので、セラー温度が低すぎる(ワインが冷たい)かなと思っていたところ、「私、酔っ払うとグラスを落としそうで不安だから持ち方が変わるの(笑)」と自発的説明を受けた(笑)。

 いとをかしぃまでにキュートだと思うが(笑)。