「トランスジェンダー選手が女子スポーツに出場するのは「悪い冗談」ライバルの女子選手「ほかの人が犠牲になるべきではない」と批判」

 理想と現実がそこにある。

 理想としては、全ての人があらゆる人を受け入れ理解すること。実際に世界はそれを目指し、自由と平等を手に入れようと頑張っているが、いざ自分と直接的な利害関係が生じると、ヒトはそこまで寛大じゃないことがはっきりする。

 例えば普段「税金は平等に配分されるべきだ」と言っている人達も、納めた税金の使い道がが開示され、「あなたの税金が(自分の大嫌いな)●●さんのお子さんの保育園に使われました」と知った途端「ふざけんな」となる(笑)ことが多いだろうことのように。使い道を選びたくなるのは当然。額が大きくなればなるほど。「だったら私だって大変(他人にくれてやるお金はない)」と誰がどのくらい大変か=配分を受け取るべきか合戦になる。

 ヒトとは自分と直接関係のないことに対しては寛大だが、直接関わると口を出すようになる。権利者として。

 「ほかの人を犠牲にしてはいけません」とは、トランスジェンダーを受け入れることで生物学的な女性であることが不利になるようではいけない(権利を侵害しないで)ということだろう。とてもよくわかる。誰かの権利を守って他の誰かの権利が侵害されたら何のための平等意識かわからない。

 これは以前色覚異常について「配慮を求める際、他人の楽しみを奪うことを引き換えるべきじゃない」と書いたソレに似ている。何でもかんでも私のような色覚異常者が見やすいように配色してしまうと、健常者にとってツマラナイ色の世界になるから。

 どんなに男女平等になっても、今のところまだ男性の方が体格・体力的に女性を上回っていることは事実なので、記事のような重量挙げの選手となると、男性→女性のトランスジェンダーが女子側に出場するのはズルいでしょということになる。

 当然。

 その競技で食べている人達にとっては死活問題だから。言って見れば、「トランスジェンダーを受け入れることで自分達が食べていけなくなることを何で歓迎しなきゃいけないの」という話。

 精神論での平等と生物学的な均等・対等は全く別物なので、トランスジェンダーを無条件に受け入れると、将来的にほとんどの女子スポーツは男性→女性トランスジェンダーの競技と化する。少なくとも上位争いはそうなる。

 仮にそうなったらどうなるかというと、次の展開は「それじゃ不公平だから、本物の女子だけのカテゴリを作って」(排他的思考)となる。男子、トランスジェンダー、女子という具合に。

 そこで「ホンモノって何なの?」「じゃぁ私は偽物なの?」と差別だ人権侵害だという騒ぎになるのが目に見えている。

 よって性別は「生物学的な」で固定されることになる。

 更に「プロ」すなわち収入が関わってくると、スポーツの世界ではトランスジェンダーの中で女性→男性より男性→女性の方が有利なため、出場する際は女性→男性は選ばないという偏りが生じると予測できる。

 そうなると「男性→女性はいいよね。女性→男性は生活(収入)のために我慢しなきゃいけない」という具合に再び生物学的女性が不平等な選択を強いられることになる。

 その不公平感の結果として女子スポーツを業とする人が減る(業界が衰退する)。

 こういったことが熟慮されないまま「平等」という言葉が先行支配している。

 表面的には平等主義を装っていながら、実は短絡的かつ無関心で自分勝手な考えの人が多く、私は非常にしばしばある考察を投げかける。

 例えば、制服着用の(それが顧客にとって利益になる)仕事において、標準的なS,M,Lサイズの用意がある。しかしLLサイズの人が入社を希望している。どうすべきかと問う。

 最初は「LLサイズの制服を用意すべきだ。体型差別はいけない」と返ってくる。正義に満ち溢れた顔で。

 「LLサイズの制服を1人のために作ってもらうとフルオーダーと同じで1着あたり10万円を超えてしまい、会社にそのお金がない。では社長と社員全員でお金を出し合って作りましょう」となったらどうするかと聞くと「何で私がその人のためにお金を出さなきゃいけないの?」と返ってくる。

 「体型差別をなくすため」と言われたらどうするかというと、頑なに「1円も出さない」「その分私が働くから給料あげてほしい」から「だったら初めから雇わなきゃいい」「制服なくせば?」(=顧客にとっての利便性も投げ捨てる)と返ってくる。

 では「雇った後にLLサイズになったら?」と聞くと「知るかそんなこと」と投げ出す人が多い(笑)。

 結局のところ、日頃何も考えてなくて、ただ「平等」「差別はいけない」と口にしているだけで、他人には1円もくれてやらないし、自分の領域や権利は絶対に侵害させないという人がほとんど。

 こういった問いは、面接などでその人の本質的な考え方を知るのに有効。

 それが女子スポーツ界では男性→女性のトランスジェンダーが(従来の意味での)女性の生活・人生を侵害しかねないので人ごとでは済まされなくなった。いずれ他の業界にも波及する。

 平等・差別問題は精神論では片付かない難しいテーマ。だから私は思考が成熟していない人とこういったテーマについて話すのは好きじゃない。最後はそのあまりにも排他的かつ利己的な精神性を目の当たりにして、何でこの人と話しているんだろうと残念な思いで終わることが多いから。

 私個人としてはこれらの問題に対し理解に努めているつもりだが、誰もが納得・満足いく結論を出せる自信はないし、そんな時代はこないだろうという気がしている。