「公立の数学の授業を見て感じた「悲惨さ」の正体 | 子どもを本当に幸せにする「親の力」 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準」

 下記の記事を読んだ。

 入試のナイ公立は生徒の成績レベルを一定に保てないから、その環境下で一斉授業を行えばこの問題はやむを得ない。

 成績上位層に合わせると下位層が付いていけないし、下位層に合わせると上位層のやる気が失せる。

 自分のレベルに合わせて学べるオンライン授業はとても役に立つと思うが、そのうち「学校の先生」はほとんどが用済みになってしまう。

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 学力格差だけでなく所得格差も同じ。

 20年くらい前から有明・東雲地区(江東区)の再開発が進み、元々は工業団地などが建ち並んでいたところにタワーマンションが建ったため、同じ学区に雲泥の所得差が生じた。

 ※有明でピンと来ない人には、台場のフジテレビから1km圏と言った方がいいだろうか。

 そのうち小中学生の子を持つ親達は、隣の中央区に古くて小さい部屋を1つ借りてそこに住民票を移し学区を移動する(させる)という話を非常にしばしば見聞きした。

 私立に行かせたらいいじゃないかという人もいるだろうが、エリア的にそこまでの所得層ではない(住宅ローンを組む人達が多い)。

 数万円の家賃を払ってでも学区を移そうとする理由は、地上40階、50階の「レインボーブリッジビューの夜景の綺麗な家」に住んでいる子と、エレベーターのない団地で4階まで階段で昇る子の差は大きすぎるから。

 夏休みに家族とパリ旅行に行ってエッフェル塔で撮った写真を見せたい子と特に話題のない子との間にちょっとでも揉め事があると、「旅行に行けない子の身になって考えなさい」と叱ることはあっても、「お金持ちの子の身になって考えなさい」とは教えない。

 累進課税による「富の再分配」が指し示すままに、暗黙の優劣(強者・弱者)が決定付けられているため、お金を持っている家の子が配慮することが当たり前に求められる社会。

 そうなると学校で旅行の話もできなければ、レストランに行った話もできないし、新しい自家用車の話もできなければ、友達を家に呼ぶ事もできなくなってしまい、同じタワーマンション組で群れさせることで「お高く止まってる」と批判されるくらいなら、学区を(その所得層が普通の地域に)移ろうという流れ。

 ※そのエリアに住んでいた知人は、結局引っ越して子供をインターナショナルスクールに入れた。

 その後そこから1kmの豊洲の再開発が進んだが、目と鼻の先の晴海(中央区)の再開発が始まったので葛藤があるんじゃないだろうか。

 学業にしても所得にしても、同じ箱の中に投げ込むのは無理がある。

 冒頭に書いた通り、授業に関してはオンライン化されるだろうし学力格差には有効だと思うが、他者との差異を体感せずに成長すると、ますます空気が読めない相場観のない大人が増える可能性が高く、将来の社会にとって良いのかどうかはわからない。

 難しい問題だ。