ポジティブ思考とは。

 何事も前向きに受け止めることを「ポジティブ思考」と呼ぶ人が多い。

 本当に結果はポジティブだろうか。

 そうでないから、20年以上も「ポジティブ思考」が流行っていながら一向に幸福感の高い人が増えていかないんじゃないだろうか。

 例えば、衛生面を見直す際、「私はキタナイ」という前提の人は“ネガティブ”(否定的な)思考と呼ばれる傾向がある。「神経質」「考えすぎ」とあしらわれることも多いだろう。

 一方自己啓発系では「私はそれほど悪くない」「いいかも」と持って行こうとする。まずは“これでいいんだ”という自己肯定感を高める狙いだと考えられる。鬱から抜け出すための突破口としては悪くない。

 そして世間が言うポジティブ思考の人は「私はキレイ。これで大丈夫」と考える(思い込む努力をする)。

 で結果はどうなるかというと「私はキタナイ」という人はどこかのタイミングで綺麗にするので平均よりも清潔だったりする。しかし自信がない人は自分を責め続ける(これはネガティブ)。

 それ以外の人は「ありのままの自分を受け入れる」ことに明け暮れていて何もしないから実際はキタナイ。下手すると「自分を変えることは非を認めたことになり、ひいては自分のこれまでを否定することになる」とさえ考え出す人がいる。

 間違いを認めたら負け的な。

 要は自分のやり方・生き方を肯定(正当化)するためにポジティブ思考を利用しているにすぎない。言い換えると自分を騙す後押しとしての概念と化している。

 私が考えるポジティブ思考とは、「うわっ、キタネー」「キレイにしよっ」と現実を事実のまま受け入れ改善し、将来は何もしなかった自分よりも遙かに良くなっていることを指す。

 オーラルケアもそうだし、体型・健康管理もそう。だから私は医学的な「肥満」体型を肯定しよう(ありのままの自分を受け入れる)という動きを懸念している。実際コロナウイルスの重症化率も高い。

 例えば、朝起きてすぐの口の中は多い人だと一兆個近い細菌がいると言われている。「ずっとこれで生きてきたんだから問題ない」「綺麗にしすぎると免疫力が下がる」なんて言ってありのままの自分を正当化していると、他人に迷惑をかける。その結果人が離れていく。将来の自分は良くならない。

 太って病気になれば治療費がかかるのと同じ。それも含めて「ありのままの自分」としてサクッと受け入れられるんなら見事だが、大抵問題が起きると「こんなはずじゃなかった」が始まる。多分そのショックの方が最初に自分の問題に気付いた時よりも大きい。

 自分を変えようとしない人は、期待できる最大値は現状維持だが、実社会ではそうはいかない。成長していく人達は、成長しない人から離れていくから。すると10年前の周囲と比べると、成長しない人の周りは成長しない人達の群れに偏っていき、見聞きする情報の水準が低下していく。

 そして365日四六時中“負”の情報に取り囲まれることになる。

 ポジティブ思考とは、キタナイのに現実を念力(思い込みや洗脳)でねじ曲げてキレイってことにしようではない。

 キタナイことに気付いたからって「あー私はダメなんだ」「不潔」「だから嫌われるんだ」とイチイチ鬱にならない心構えこそがポジティブ思考。「うわ、キタネー」「キレイにしよっ」でいい。明日はもう綺麗だから。

 例えば、他人よりも知識がない人が「勉強しない自分が悪い」と思うことはネガティブ思考ではない。知識とは勉強・体験しないと身につかないからそれはただの事実の認知。勉強を始めたら昨日よりはるかにイイ。

 いつまで立っても勉強しようとしない(努力しない)自分に呆れている人がいると想像してみたら、勉強を始めた自分がその人達にどう見えるかという点で既に周囲との関係性は改善されている。しかし「自分には才能がないから勉強しても意味がない」「忙しいから勉強する時間がない」と勉強しない理由・言い訳を考え始めたらネガティブ思考。呆れた人達が離れていく。

 ポジティブ思考の深みにはまって、ずっと念力を唱えているのに一向によくならないという人は、まずそこの認知改善から。

 「変わらなくていい」理由を探している時点で後ろ向き(または停止)なので、それこそがネガティブ思考。

 変わろう(改善しよう)とすることは、確かに一時的に何かしら非を認めることになるかもしれないが、人生負けるよりははるかにいい。進行方向を向いているのがポジティブ思考。

 とコロナウイルスにしても何にしても、学習しないというか改善されていかない世の中を見て私は思う。

 ※例としてキレイ・キタナイを挙げただけで、言うまでもなくソレに限らない。