スーツで見る時代の流れ。アメリカのドラマから。

 以前はワインについて書いてみたが、時を同じくしてアメリカのドラマに出てくる男性達のスーツも変わってきた。

 2012〜2017年はひたすら地味路線。それまでは日常的な描写だった高級車は出てこないしパーティーシーンもほとんどなく、お酒を紙コップで飲むシーンを入れるなど、徹底したアンチセレブの時代。

 ファッションで言うと「ブランドのロゴが入ってるのってダサい」という主張が流行った頃合い。それでもロゴが入ってないブランドの服が売れていたんだが(笑)。

 この頃までは男性の「高給取り」を表す表現として「2,000(または3,000)ドルのスーツを着た男」(日本円で20〜30万円くらい)というセリフが良く使われていた。いわゆるホワイトカラー、エリート組を指す言葉。

 それが打って代わってこの約3年で、生地の質感や光沢、仕立てから見て7,000ドルのスーツが割りと普通に登場するようになった。セリフではなくメインキャストの衣装がソレ。恐らくドーメルやドミニクの高級ラインだろう。

 「格差の是正」が真だと考えられていた2012〜2017年から、「真の多様性の追求」すなわちお金を稼いでいる人もいるし貧乏な人もいるという実社会をありのままに描写するという思考・心理の移り変わりが見てとれる。

 「格差の是正」は人為的・人工的なものであり、決め事で人を横並びに切り揃えようという考え方。オーガニックナチュラルとはほど遠い。いつ食べても同じ味がする人工調味料のようなもの。

 一方「自然」とは何も調整していないもの。

 ドラマを製作する際に、実社会では格差が開いていっているのに、誰に配慮してかパーティーシーンを削ったり、高級車を映さなくなるとこれは完全に人工フィルタリング

 フェミニズムについてもそろそろ変わってくるだろう。女性がミニスカートをはこうと、身体のラインを強調しようと本人の勝手(誰かが個人の選択を支配・制御すべきでない)という当たり前の流れになると予想される。

 もしかすると美貌に高い給料を払うのも、能力に高い給料を払うのも同じだという時代が思いのほか早くくるかもしれない。

 思考の成熟度が見て取れる。