給料泥棒なスタッフ。「ウェクスラーforビジネス」の可能性。

 あるデパートの1Fにある小規模な店舗でのこと。

 事前に一度立ち寄って在庫を確認したところ「商品取り寄せ、入荷次第連絡」とのことだった。

 予定されていた日にちゃんと電話があり「今日中に伺います」と伝えた。

 私が到着した時、客ゼロだった。シーンとしていて何か喋ったら全員に聞こえる状態。事前に立ち寄った際に話した人は休みだったので、引き継ぎや周知レベルが問われるところ。

 入口にいた女性スタッフ(A)に「今朝、商品入荷の電話をいただ(いた)」と言いかけたら、左奥の女性スタッフ(B)がすぐに気がつき動き出した。ほぼ同時にレジ近くに居た女性スタッフ(C)も商品の用意を始めた。(B)は(C)を見て「じゃ、頼むね」的な表情で(C)に任せた。

 で、私が話しかけた(A)はその間じっとこっちを見ていて「はい?」と返した(笑)。もちろん「今朝入荷の電話をもらった」「○○をNN点取り寄せてもらった□□」と最後まで全部言ったんだが。

 「あっ、もうあちらのお二人に伝わったようなのでこのまま待ちます」と言ったところ、またじっと私の顔をみたまま「あっ・・・、はい?」と返した(笑)。

 私の顔を見てないで後ろの2人を見たら今何が起きているかわかるだろうと思い、両手で仕事をしている2人の方を見るように促した。

 その間(C)はせっせと入荷した商品群の保証書に記入していて、(B)はラッピングや手提げ袋の準備をしていて、(A)だけが何もしてないどころかまだ何も通じてもない(笑)。そして(B)は慌ててこっちにきて(A)に「もう大丈夫」と何とも辛そうな表情で伝え、少しだけ(A)の腕をひっぱり私から遠ざけた(笑)。

 そのお店の推定客単価の10倍くらいまとめ買いしたので、私が腹を立てて「もういらない」とか言い出すのが怖かったのかもしれない。(B)は。

 もちろん私は怒ったりしないし、取り寄せてもらったものをその時の機嫌でキャンセルしたりする性格じゃない。何があっても「我慢しすぎ」と言われるくらい我慢するタイプ。

 が、(A)はもう仕事させない方がいいんじゃないかというのが正直な気持ち。他のスタッフの足を引っ張るだけだし、それこそ客を怒らせ“事故”るのを待っているだけの状態にか見えない。

 普通のサラリーマンと話していると「そんなダメスタッフクビにすればいい」「いるいるそういう給料泥棒」という反応が大半なんだが、そういうダメスタッフが職を失うと、ただでさえ納税額が足りてない分(日頃から上位2.5%の高額納税者が半分を負担している上)、生活保護なんかになろうものなら税金を吸い取るだけ(結局更に高額納税者が扶養しなきゃいけなくなる)の存在になってしまうから、怒るより説明してわかってもらおう(これから頑張ってもらおう)とこっちが手間暇かけようとする。その結果社会の寛大さに甘えが生じ、余計に格差が広がる。

 納税格差社会とはそういう社会構造にある。

 この2年ほど、多分これ(許容とか我慢とか)が多くの日本人をダメにしたんだな(ひいては累進課税[扶養者、被扶養者の関係]が甘えを生んでるんだな)と思うようになり、少なくとも自分の時間はなるべく割かないようにしている。意識的に。「自分で気付いて」「自分で考えて」的な。

 と言いつつ、今の日本には、「何で向こうの2人に通じてアンタには何も通じないんだ。アンタは何のために入口に立っているんだ」とはっきり言うような人が必要なんじゃないかと感じる。昔の雷親父的な。そこに時間を割く人。自分の時間を他人の改善に捧げる人。本当は上司の仕事なんだが(笑)、それをしない組織が増えた。何か注意するとパワハラだ何だと逆に自分が責められるリスクが高まっているからだろう。

 雨よけカバーの正しいかけ方まで私が教えてあげなきゃいけない状態(笑)。今のデパートは。

 どこかで本人が自分のレベル(社会人偏差値)を自己認識しないと、当人はいつまでもよくなっていかない。その組織内に存在する偏差値の凸凹は、凸が凹を埋めるということ。

 もっと言うならば、自分が他のスタッフより劣っていることを認識し、その分努力しなきゃいけない。自分が仕事をしなかった(できなかった)分他のスタッフが補填しているかもしれず、そこはなかなか給与に反映されないところ。それを認識する必要がある。じゃないと周囲に感謝もしないからますます社会から干される。

 あの(B)の「何とも辛そうな表情」は、日頃の我慢の結晶みたいなものだったんだろうと私は受け止めた。(B)の方が先に壊れそうにさえ見えた。

 しっかり練られて揉まれた入社試験のある大企業や(SPI、CAB、GABなども含め)、学歴である一定以上にフィルタリングして採用している企業などはそこまで凸凹が生じにくい。「学歴が何だ」という意見にもっともなところはあるんだが、例えば偏差値60の大学で4年間AなりBの成績を維持するためには、最低限これだけの読解力・理解力が必要という基礎的な能力の判定材料になる。

 中小は面接だけで採用していたりするので、いざ現場に立つと日本語もろくに通じないスタッフが出てきたりする。かつ注意力散漫で空気が読めないという周りの負担になる人。よほどの事故が起きないと解雇もし辛い世の中。

 前述のSPI、CAB、GABなどはIQテスト化しつつあるので、いずれは「ウェクスラーforビジネス(採用・人事)」(毎年更新)などが登場するかもしれない。全体的な適性を見るのに手っ取り早い。

 問題はそういったテストを導入しフィルタリングすると働き手がいなくなる単純労働の現場。低価格で必要数だけ利用できる簡易版も用意されたら使いやすいと思うんだが、更なる問題はその職場の採用担当者がそれらのテストの有効性を理解しない可能性があるという点。テストよりも自分の直感の方が正しい(人を見る目がある)と思っている人はそれなりに多い。

 現場はかなり深刻で、デパートのスタッフを見ていていると、5年で社会人偏差値が5づつ下がっていっている印象がある。加えて20代は以前にも増して人生経験に乏しくジャケットとコートの順番がワカラナイような人も増えている(教養レベルの低下)。

 企業は年々低下する人材レベルに合わせ基準を下げて対応しているんだろうが、基準を下げると努力をせずに仕事が得られる社会になってしまうので、「社会に出るには最低限これだけはできないとダメですよ」という指標となる試験を設けた方がいいと私は思う。

 でないと自分に何が足りないのかも知らないまま生きている人があまりにも多く、また注意もし辛い時代背景によってそれが加速している。そして低賃金でもっとよく働く移民に仕事を取られる。世界中同じ流れ。


https://www.jpc-net.jp/research/column/detail/004520.html より

 日本の労働力は生産性が低い。もう少し他人(世界)と比較して、自分達に何が欠け、どう努力すべきかを知った方がいい。