「緊急事態拡大 緩みは五輪のせいではない : 社説 : 読売新聞オンライン」

 おっ、珍しく大衆迎合記事じゃない新聞社の記事を見た。

 もっともであり、先月末あたりまで良くみかけた「五輪やってるんだから自粛してられるか」は思考が破綻している。ウイルスの感染は拡大真っ只中なので、ガードを緩めたらすぐにやられる状態。それどころか感染力が増しているので、今まで以上に気をつけないとマズイ状況下にある。

 五輪開催と一般人の生活は何が違うかというと、五輪は隔離された特別な環境下にある。選手達にはチームドクターがついているし、医療班も待機しているから何かあればすぐに対応してもらえ、治療が受けられる。いざとなれば海外から医療チームが派遣されてくるだろう。自衛隊もついている。

 一般人はそうじゃない。

 通常診療の制限も視野にという方向にあり、これ以上感染が拡大すればコロナウイルスどころか持病のある人はその診療さえ受けられなくなる可能性がある。

 自粛は自分のため。結果としてそれが社会のためになる。

 そこで「五輪やってるんだからオレ達も」と同じように振る舞おうとするのは、それは大スターと素人を同列に考えるのと同じ。大スターはお金もあるし優秀な専門チームがついているし、護衛も送迎もついている。それに、死なれちゃ困る人達(ステークホルダー達)が必死で助けようとする。一般人はそうじゃない。規定通り、順番通り。順番が回ってこなかったら、或いは間に合わなかったらそれで終わり。

 普段、病院も医者もいつでもどこにでもいて空気みたいな存在になっていて、患ったら助けてもらえて当然と思っている人が多い。しかし戦時下や緊急事態下では悠長なことを言ってられず、日本人の苦手分野である優先順位が前面に出てくる。

 それを命の選別だ差別だ格差だと言ってもしょうがない。トロッコ問題と同じで、同時に2つ以上の問題が生じた場合、どちらに対応するか選ぶしかない。

 時間が存在する限り優先順位が存在する。全てを並列にこなせないから。

 「じゃぁオレ達は死ねって言うのか」もおかしい。死にたくなければ自粛しなさいということ。政府は一貫して自粛を要請しているのだから、自粛せずに遊び回って感染して死ぬのは自分の決断が招いた結果であり、誰のせいでもないし五輪のせいでもない。

 ウイルスは目に見えないからピンと来ない人が多いのかもしれない。

 今の緊急事態宣言とは「ライオンが檻から逃げました。危険ですので外に出ないでください」と同じ。

 たまたまそこにライオンがいなければ、買い物に行って無事に家に戻ってこられるかもしれない。それが何度か続いて安心したら、今度はレストランに行って食事しこようかと思うかもしれない。それも上手くいくかもしれない。が、次の日ゴミを出しに玄関を出た瞬間に襲われるかもしれない。

 言うことを聞かずに家を出た本人が悪い。「何でもっと厳しき注意してくれなかったんだ」と言っても遅い。死んだら言えないが。

 「じゃぁ五輪は?」と言うと、警備がいるからライオンは会場の中に入ってこない。会場の一歩外に出たら一般人が襲われることは普通にあり得るということ。

 だから五輪開催と一般人の生活は全く別のものであり、「五輪をやってるんだから自粛してられるか」は違う。

 五輪をやっていようが中止されようが、自粛しないと感染が拡がり、感染が拡がれば緊急事態宣言が出る。緊急事態宣言の効力がなくなればより強力な法規制がなされる。そうすれば経済死する人達が増える。

 すなわち自分の欲を満たせば誰かが死ぬかも知れないという状況下にある。我々は。