「年の功」不要の労働。

 よく行くあるカウンターに、もうそろそろ定年かという歳の女性スタッフが異動してきた。

 こう言っちゃ何だが、見るからに場違いな顔。

 遅くて、飲み込みが悪く、それなのに勤続年数は長いからか「わかってる」的な態度で周りに助け(教え)を求めず、待ち行列ができる。極めて生産性が低い、最近よく中高年の労働者に対して使われる「老害」の代表例みたいな人。

 初めて見た瞬間「嫌われるだろうな」と思ったが、案の定翌日には他のスタッフの総スカンを食らっている状態だった。別に何か罵られているわけでもなくスタッフ同士は会話すらないんだが、それが客席側にモロに伝わってくるから、バックヤードまたは内心では相当なものだろう。

 が、そのあからさまな「何なのアンタ」という視線や空気感に違和感を感じた。

 日本人というのは年配者を敬う社会だった気がするから。

 それなのに、この冷たさは何なんだろうというくらい皆冷たい。見ていてイライラを通り過ぎて気の毒になるくらい。

 昔と何が変わったんだろうと観察した。

 その会社は巨大だが、カウンターの業務自体はコンビニのレジ打ちに毛が生えたようなレベルで、いわゆる単純労働。中高卒でも飲み込みの早い人なら一週間で前線に立てる内容。

 ※ココで生粋の単純労働者側は「だから学歴なんて意味がない」と結論付けたがるが、それは単純労働の現場だから学力(知識)差が出ないのであって、入れもしない会社で行われている知的労働を人生から除外して生きていること自体に限界があると考えたら、本当は差が出る労働現場である方がやり甲斐がある(奥が深い)ということ。

 会社が大きいと資金がある分ルーチンワークはほぼ機械化されているため、コンビニのようにバーコードを読み取って画面を目視確認して、支払いを受けるという超単純労働化していて、「年の功」が役に立つようなシーンがまるでない。

 機械操作だけなので長年の経験や判断力などが問われるファジーな作業がなく、どのボタンを押すかしかない。

 すると、いかに操作手順を身体で覚え一連の動作が早いかすなわち運動神経としての能力差しか問われないため、「勤続年数が長い」とか「人生経験」などがまるで役に立たない。会話もほとんどんないので、コミュニケーション能力も問われない。

 よって機械操作に慣れていて、テキパキしていて体力のある若者の方が良いということになるんだが、もはや機械だけでも良い(ヒト自体要らない)というところまで来ている。作業の単純さが。

 私は昔から40才定年の時代が来ると言い続けているが、そのうちこういう定型業務は中学生の「社会人体験」など学校の授業の一環に取り込まれるのかなと感じる。基本は機械による半自動。

 そうすれば賃金さえ払わずに学生ボランティアによって業務を回すことができ、低賃金労働者目当てに移民を雇い入れる必要も無くなる。外国人嫌いの日本にちょうど良い。

 度々書いているが、「大人になってから(例えば)数学なんて使わないよね」という考え方は、「それは数学を必要としない仕事をしている」→「そういう職しか選択肢がない」と考え直さないと、子供の代は食べていけなくなってしまう。

 話は戻って「年の功」が全く要求されない職務になればなるほど若手にとっていわゆる飲み会などのコミュニケーションも無駄に感じられるんだろうなと思う。喋って学ぶことがないから。それどころか「アンタ早く仕事覚えて」的な。

 少し引いて見てみると、若者が飲み会などに対し「それ仕事ですか」「残業代出るんですか」と食ってかかるようになったのは、それだけ中高年が日頃から「年の功」と言えるものを発揮していないんだろう。

 長く生きたことが、ただの認知機能の低下、体力の低下すなわち老化でしかなくなった時点で「老害」化するのだと考えたら、少しは若者が「なるほど」と思えるような一言二言を発信できるおっさん・おばさんにならなきゃいけないんじゃないかと感じて久しい。