「それはあなたの意見であって」とは。

 この10年くらいだろうか。世間を観察していると「それはあなたの意見であって」を頻繁に見聞きするようになった。

 確定した事実だけを伝え合うなら、エクセルファイルの送信で済むんじゃないか(笑)。会って話す必要もないし、電話もいらない。エクセルの見方、統計データの見方がワカル最低限の頭があれば。

 そこで議論すなわち意見交換にも意義があるという前提で話し合う(対話する)のであれば、「それはあなたの意見であって」自体が辻褄が合わない(笑)。双方が意見を言う場を設けているのだから。

 これは思考の破綻。

 或いはナルシシズム。自らの主張(意見)が通るべき場は歓迎するが、他人の意見が通る場ならば拒絶するという身勝手な振る舞い。

 プロファイリングするならば、普段から自分の意見が聞き入れてもらえないことが多く(一般的に社会的地位が低い)、「またここでも自分の意見は却下されるのか」という感情が、社会的な不条理・不公平・不平等によるものだという受け止め方(認知)から生じている可能性が高い。

 ほとんど場合そんな難しい問題じゃなく、浅く成熟していない取るに足らない意見だったり(過去に問題が指摘され却下済みのものだったり)、或いは喋り方とか見た目で嫌われていて、相手が真面目に向き合ってくれないという話し合い以前のところで躓いていることが多い。女性が言う「生理的に受け付けない」レベルだったり。

 残念ながら。

 「それはあなたの意見であって」の裏側に見え隠れするのは、特定の誰か、特に知名度の高い発信力のある人や、社会的地位が高く他の人達がその意見の影響を受けやすいという場にいる時、「私は他人の考えに左右されない」(よく精査し吟味する)という主張と、自分自身の気持ちを強く持つために発信されている印象がある。

 私は騙されないぞ、流されないぞ。的な。心理的には。クールを装っている感じ。

 が、大抵の場合、他の何にも同意しない人が多く(笑)、相づちを打たないので会話のリズムが生まれず弾まないため、パッとしないまま対話が終了するケースがほとんど。

 結局のところ、権力者とは自分をねじ伏せようとしている、他人とは常に自分を騙し搾取しようとしている、という前提にあるように感じる。人と向き合う構え自体が。

 流れ的には何でも噛んでも利権、権益と結びつけて、強い者が弱い者をそののかし誘導し、そして暴利をむさぼるという構図。

 そんな被害妄想の中で生きていたら生き辛いだろう。人生。

 だから他の誰かの意見が通る気配を感じると、「(また)他人の意見を押しつけられている」と拒絶反応が生じ「それはあなたの意見であって」が出てくる。という認知構造だろう。

 日々、何かと長い物に巻かれるしかない労働者層は、「(また)他人(権威層=上司とか)の意見を信じた・受け入れたことで失敗した」と、今及び過去の自分がなぜ上手く行かないのかを他人の影響のせいにしようとする傾向がある。

 こういった認知の形成とは、「親の言うことを聞いて失敗した」が初まりかもしれない。

 昔からFXなどの相場取引にもよく見られ、「専門家」の見立てを読みあさり、掲示板などで散々人の意見を見て回って売る・買うのポジションを決めておいて、失敗したら「アレを信じた自分がバカだった。あの時本当はこう思ったのに」を繰り返す人が非常に多い。

 結局は自分だけで決断することが怖く、他人の意見の後押しを必要としているので、その弱々しさから自分の主張が他人に受け入れられることがないという悪循環に陥っている。

 世間とは単純で、堂々と馬鹿げたことを言った方が信じてもらえたりする(笑)。

 ということから、賢い・賢くないは、IQという生得的なスペックと認知の組み合わせで決まると言える。

 スペックが高くても認知が歪んでいると何かに執着したり固執したりして、世間が全く認めない方向に全エネルギーを注ぎ込んだりするので消耗が激しい。

 一方、IQは高くなくても認知が澄んでいてスマートだと他人に愛され、充実した人生を送ることができる。その結果、他人よりも良い結果が得られることが多い。

 というのは私の意見であって、とイチイチ申告する必要はないんだが、世の中の会話を観察していると、タバコの箱の「ガンになるリスクが〜」みたいな注意書きがブログの最初と最後に必要な時代なのかなと思うようになって10年くらい経った。