チェス、将棋、囲碁と人工知能から見る思考の偏り。

 「人工知能時代の知能」の話に入る前に教養程度におさらいすると、1997年にチェスのチャンピオンにコンピューターが勝利して以来、必然が続いている。2015年には将棋で勝利し、2016年には囲碁で勝利した。

 チェスでは勝てても将棋や囲碁は無理だと主張する人が多かった。

 チェス:10の120乗

 将棋:10の226乗

 囲碁:10の360乗

という具合に、場合の数が多いからかそう思ったのだとすれば思考が正反対の方向を向いていて、総当たりなら機械の方が遙かに速い。四則計算で競争を挑むくらい愚か。

 チェスで言えば、昔はプロの手を学習させる方式だった。「プロは優れた手を打つ」という前提。しかし70年代にはいわゆる力任せ方式という総当たり手法に転じ、80年代にはプロ並みになった。そして1997年に勝利。機械学習は特に必要とせず。

 総当たりとはその時点で可能な選択肢の全てを検討する。膨大な数の選択肢の中からどの手を選ぶかはゲーム理論のミニマックス法が用いられた。

 将棋も同様で、2000年代中盤から力任せ方式+ミニマックス法を取り入れ、ボナンザメソッドの活躍と併せて機械学習(=学習の自動化)によって強くなった。

 コンピューター囲碁は40年近く冬の時代が続き、2000年中盤からモンテカルロ木探索を用いて一気に向上し、グーグルが開発したAlphaGoはディープラーニングと強化学習(コンピューター同士の対決で自動学習する)によって人間を超えた。

 AlphaGoの開発者は囲碁のルールも知らず、わずか1年で世界一へと導いた。

 「専門家がイチバン」の時代は終わった。 ホリエモン氏の「寿司なんて」発言もそういう時代の流れが見て取れる。

 いずれもチャンピオンに勝利するまでの過程で力任せ方式を用いたことで、実はヒトが打つ手は全体の中の一部に過ぎないことが解った。

 思考の偏り。

 昔は多様性に欠けていたし、情報へのアクセスも限られていた。チャンピオン同士の戦いをビデオに録画して何度も繰り返し見ることで「プロの手」を覚えていく暗記学習が主だったと言える。もちろん思考力やセンスが不要なわけではない。

 お互いにプロの手から学び合ってきた者同士が対極した戦績を持ってして「格」が決まり、格上への挑戦権を得るには必要な格を手にしなければならないピラミッド構造下にあると、自分が今登ろうとしているピラミッドの上部からしか学ばなくなり(それが真だと思い込む)、ますます思考の範囲が狭められ「隣のピラミッド」の存在に気付かなくなる。「そもそもピラミッドって1つなの?」とは考えない。

 表現が先行するポエミーな時代が長かったため、「プロは何十手先を読む」と聞くとまるでスーパーコンピューターかのように思われてきたが、実際は10の226乗(すなわち226桁)中の数十パターンからの選択だということが総当たりによって判明した。

 「むむっそう来たか。ならばこうだ」のどちらもある程度パターン化されていたということ。どこかプロレス的な。

 それがAIは見たことも聞いたこともない手を打つもんだから、「・・・」と思考が停止し、普段使わずに済んでいた脳の領域(=新規の思考)を働かせる必要があり負荷がかかる。そして負ける。

 ※見たことも聞いたこともない手に遭遇すること自体、日頃いかに偏った思考をしているかがわかる。もしかすると過去にそういった手法を試みた人も居るかも知れないが、昔そして古典的な業界ほど「邪道だ」「あんなのプロが打つ手じゃない」と文化や伝統、時には権威によって潰されて来た可能性も否めない。これはどこの業界も同じ。

羽生も、多くの後輩棋士が取り入れるAIの存在を認めている。「AIは、私たちが真っ先に考えから外した手を平気で出す。改めてAIも参考にして研究に取り入れないといけない」。9月27日で50歳を迎えるベテラン棋士でさえ、柔軟な対応を見せる。---記事リンク

という流れがあり、将棋ではAIカンニング疑惑騒動があったし、藤井七段はプロ入りする4年前(2016年)から本格的にAIを取り入れたそうで、「4年前と比べて今の自分は「(大駒の一つ)角1枚分」強くなった」と語っている思考の範囲(scope)が拡がったことによると捉えていいだろう。

 当然にヒトは学習能力に差があるので、AIから学べば誰もが藤井七段になれるわけではない。

 ヒトがAIから「そんな手があったのか」と学び、偏りを解消し進化する時代

 偏りとはある一定ラインを超えると思考の変質性の領域。盲目的になり他の手を考えなくなる。「AIは、私たちが真っ先に考えから外した手を平気で出す」とはそういうことであり、これまで排除されてきたものに価値があったり、有効と称されてきたものが実は大したことなかったりなど、多くの事柄が再評価されていくだろう。

 その再評価する思考・判定能力こそが知能であり、流れが変わろうとも結局は真に賢い者が勝利する。

 重要なのは、ルールも知らない開発者達が勝利する時代が来たということであり、(特定の分野では)ヒトよりも遙かに優れた演算能力を持つコンピューターに対し、思考させるための思考力が必要とされている。その方が生産性も高い。

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 総当たりのような体力も時間も消耗するような作業はコンピューターにさせた方がイイ。私もモンティ・ホール問題、BIG、宝くじ、IQや偏差値などの確率問題は全て総当たりでシミュレートしてその確からしさを確認してきた。私のような数学音痴でもソレが可能な時代。

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 これからの時代に求められている賢さとは何かと問えば、プログラミング的思考が義務教育化されたことをもって結論付けられたと言えるだろう。 

 ※世の中ピンと来ないというか人ごとみたいな人が多いので付け加えると、そういう時代が来た1997年からもう23年経ち、結構切羽詰まった状態にまでなったから義務教育化されたという段階。

現在、研究にAIを活用していないトップ棋士はごくわずか。「現代将棋の序盤戦は、出現しそうな変化をソフトにかけて、どれだけ手順と評価値を暗記できるかの勝負です」(渡辺二冠)