適応・順応力が問われるダイナミックな時代。

 パンデミックによって世界は退化するわけではなく、もし経済的・生活水準的にそう見えたとしても、以前とは全く異なる方向に分岐したと捉えるべき。

 教育も仕事も遊び全て。

 こういうときに元に戻る方向に賭ける(投資する)人が多いが、「元通り」と病からの回復はちょっと意味が違う。ただ元に戻すだけのいわゆる「原状回復」と違って、病の体験と共に回復するから“進化”する。抗体ができた身体と同じ。

 元に戻らず姿形を変えていくものもあれば消えてなくなるものもあり、元通りにはならない。

 この状況下では結晶性知能(学習性の知能)はあまり役に立たず、毎日新しい脳を動かす必要がある。流動性知能が要求される時代。

 が、不思議なものでリーマンショック等も含めパニックの前後でリーダーの顔ぶれは大して変わるものではなく、中間層が入れ替わるだけ。末端労働者はもともと流動的であり変化として捉えにくい。

 ということからも一般知能因子(g)だろうとなかろうと、何かしら社会のピラミッド構造の上位層を固定する統合系の因子があると考えられる。その観察・分析がオモシロイ。

 これらはCHC理論で言うところの一般知能因子(g)の下にあるbroad abilities(広義の能力)、更にその下にあるnarrow abilities(狭義の能力)の構造に例えられる。

 労働者にあてはめるならば、broad abilitiesは中間管理職、narrow abilitiesはそれぞれの現場従業員。

 broad abilitiesは多数のnarrow abilitiesをモジュールとして組み込み、その時代に必要なものが読み込まれ(人材確保)、必要のないものは読み込まずにメモリ消費を抑制する仕組み(リストラ)、すなわちダイナミックリンク状に機能している。

 必要な能力の固定的なリストがあるわけではなく、何を伸ばせば活躍できると決定できるものではない(伸びた頃に時代が変わるから)。流動的。だから大学や大学院で4年も6年も1つの勉強に時間を費やすと、社会人になった時点でもう必要とされていない知識や技能と奨学金の返済だけが残ることになる。常に2つ3つ並行学習した方がいい。

 で今はbroad abilitiesごと入れ替えが始まった段階。世界的に。

 「固定的なリスト」と表現したが、その固定度合いはモジュール強度に例えられ、各モジュールとその構成要素の関係性は情報処理技術者試験の必要部品個数がイメージしやすい。

 これらが全て動的になると、極めて流動的な人間関係にはなるものの、時代の進化は限りなく高速化すると考えられる。

 ここで言う「中間管理職」とは会社・組織で言う真ん中の地位という意味に留まらず、社会全体で見た場合の位置づけも指す。例えば、会社自体が上位企業のモジュールとして存在する場合(部品を作っているとか下請けとか)、いくら会社の経営者・重役であっても会社そのものが中間管理職的な存在であるため、上位企業が本体の製造を中止する、マーケットから撤退する等の決定を下せば必要のないモジュールと化する。

 メーカー、問屋、小売店の関係は実にわかりやすい。メーカーの利益が逼迫すると背に腹は代えられなくなり、問屋を省いて小売価格を下げようとしたり、或いは小売店に任せていられないので直販に乗り出したりする。

 「そんなのズルい」と言っても、メーカーが倒産したら問屋も小売店も売るものがなくなるので必然的に上位に存在する。

 昔は「持ちつ持たれつ」だったかもしれない。しかし今はECと高度に整備された物流網があるため、問屋や小売店にできることがメーカーにできない時代ではない。言い換えると、問屋や小売店は特別な存在ではなくなった。

 代理店業や仲介業も同じ。

 そうやってモジュール自体が入れ替えられていく。

 もちろんそのままただ終わりを迎える人・組織もあれば、地味で決して画期的ではなかったとしても、他人には真似できない「なくてはならない存在」として地盤を固める人・組織もある。

 結局は社会に必要とされるか否かであり、特にこういう状況下では補償や支援など他人や社会に対して「何をしてくれる(与えてくれる)の?」という思考になりがちな世の中だが、もう少し先の未来に目を向けて「自分は何を提供できるか」という思考が重要だと私は言いたい。

 種を蒔かなければ実らないのは投資(自分への投資も含む)の基本だ。