「6割が不詳・死亡などの「不安定進路」という人文系博士の苦悩 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト」

 日本の場合、就職を2年先延ばしするための時間稼ぎとして大学院に行った人も多いだろう。社会人になってからでも学問を究めたく大学院に行く流れができている欧米とは層が違う。

不詳・死亡というカテゴリーだが、多くは連絡が取れず調査不能だったという人だろう。死亡率というのではない。しかし、修了して間もない5月時点で音信不通というのは穏やかではない。

 可能性の1つとして、奨学金組が多くて連絡を絶っている人も含まれていたりしないか。

 「大学はお金がかかるから」という話の中で理系に進む人とは元々親の所得が高く、文系はそもそも他に行くところがなく奨学金で大学・大学院まで行ってしまったという人が多そうだし、その結果職がなく返済も進まず音信不通的な。

 奨学金とは将来への投資であり、投資されたからには成果が問われるという意識に欠けているのも事実だろう。元々文系とは成果がでにくいしメルヘンになりやすい。

 いずれにせよ明らかな理系の時代が来て10年以上経つというのに、メディアに文系が多いからか、文系時代の終わりを告げるのが遅すぎたという社会環境的な問題もある。

 アメリカのドラマ“CSI”シリーズが大ヒットした時が転換期だった。

 その昔、「文系は理系と違って答えが1つじゃないくいろんな解釈があっていい」という主張を見たことがある。しかし時代は誰かの感覚的解釈を求めていなくて、科学的な結論を要求するようになったし、“解釈”は統計的解析による信憑性の高いもの(≒証拠)が求められている。

 その結果、統計学はこの20年で花形となった(最下部に参考リンク)。

 大学入試に「情報」を追加することを検討しているとニュースが流れた途端、Yahoo!の記事のコメント欄はアンチの山だった。そういう人達が数年後の「不詳・死亡という進路」を増やす因子だということも指摘しておきたい。