「カナダ首相「表現の自由には限度がある」 仏の風刺画事件受け 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News」

 当然のことだがソレを明示する政治家は少ない。言論弾圧(傾向)とメディアや大衆が騒ぎ出すからだろう。

 「差別はダメ」と「表現の自由」の優先順位をうまく付けられない人達がいる。常に表現の自由が優先されると、イスラムを罵ろうとも障害者を笑いのネタにしようとも自由ということになる。

 そうではないことが先に決まっているので、表現の自由の優先度は最上位層にはない。

 表現の自由を盾に言いたい放題言った結果テロを引き起こし、その延長線上に経済制裁や戦争が起こりうる。

 その責任を取れるのかという話なんだが、「直接の暴力行為に出るのは犯則だ」という主張も多い。言葉の暴力までは表現の自由の範ちゅうらしい。

 赤ちゃんが泣き止まないからといって我が子を殺して公園に埋める母親もいる。

 言葉に限らず、聴覚、視覚、嗅覚など知覚に入力された情報は脳で認知となり、それが思考・思想を生じさせる。すなわち知覚すれば何であろうとヒトの行動にスイッチを入れる可能性があるということ。

 また個人の利益と公共の利益は常に天秤にかけられている。欧米のあちこちで「マスク反対」の運動が起きているが、衣服によるファッション(個性、表現、アイデンティティ)とマスク着用の義務化の意味は異なる。自己表現を優先してまでウイルスを撒き散らしていい理由にはならない。

 その判定がうまくできない人達が多い結果、たくさんの人が職を失っている。

 今世界はパンデミックを終わらせることが最優先課題であり、認知能力が低いとその優先順位が理解できず社会に迷惑をかけるという代表例。

 いずれも全体理解の領域。