「電通、社員230人を個人事業主に 新規事業創出ねらう  :日本経済新聞」

 「いずれはそうなる」とかれこれ15年くらい言い続けてきたことだが、思いのほか早く訪れた。リモートワークが普及し、職場・通勤といった管理領域が曖昧になりつつあるからだろう。どこまでが労災かの認定も難しい。

 事業者対事業者の付き合い(取引)なので個人事業主側は労働基準法では守られない。相手の事業者がどんな労働環境かは管轄外なのでお互いに関知しない。

 社長や取締役が1日20時間働こうと法に触れないのと同じで、思いっきり働きたい人にはいいが、できるだけ仕事をせずに高い固定給をもらいたい人や、固定給が下がって歩合制になると必然的に労働時間が増えるだろうことが困る(元々生産性の低い)人にとっては非常に都合の悪い流れ。

 本来、資本主義経済下における会社と労働者は、管理監督者と使用人の関係だが、世の中的に均等・対等主義が強くなってきたため、「使う・使われる」の関係を解消しようという風向きにある。

 そこで真の対等とは何かと問うと、自立した大人同士の関係すなわち自己責任の関係となり、必然的に事業者対事業者という流れになる。

 派遣社員は派遣会社に雇用されているし、パート・アルバイトは勤務先事業者に雇用されているが、個人事業主は完全に独立しているので、会社から見ると最も遠い存在。うまくいけば真に自立した存在となる。

 女性が(金銭的に)自立し男女(夫婦)の関係値が「扶養・被扶養」の関係でなくなると同時に結婚を望まない女性が増えているのと構造的に似ている。自分に稼ぎがあれば男に媚びる必要がなくなったし、嫌なことを言われても我慢しなきゃいけない理由もなくなった。一方で女性も働き続けなければならない時代。これらの流れに対する好き嫌いは個々人の感覚による。

 既にフラットタックス制度が存在するが、税金もそうなっていくだろう。せめて税率を揃えないと扶養・被扶養の関係が生じるから。対等・均等化圧力下における富の再分配の限界

 残念ながら、新の均等・対等を実現すると約半分の人は生活できなくなる。そこで「支援」「補助」を実施すると、その資金の出所は?という話になり、必然的に社会的弱者(優劣)を決定付けることになるから、「自然淘汰」を自然の摂理として受け入れるしかなくなる。動物社会に逆戻りするようにも見える。

 その不安定さを嫌って古典的な「雇用」(または扶養)を望む自発的・選択的サラリーマンも増えるだろう。その時ようやく「自分の意志で」「自分の責任で」選んだ道として他人に干渉されずに済む社会が訪れるんじゃなかろうか。

 フェミニズムのソレに似ている。本来大人の女性が、自分の美貌と美しいスタイルを活かして水着モデルをしようとセクシーな衣装を身にまとおうと勝手なんだんが(ヴィクシーモデルは年に何億円、何十億円と稼いでいて虐げられているわけではないし)、そこに「(あんな格好をさせるのは)女性蔑視だ」と干渉してくる人達がいるから業界までもが廃れていく。しかし真の自立とは他人に干渉されないことであり、必然的に全ての決断を本人に委ねることで実現しうるもの。

 今社会人は、一段階、二段階“おとな”になることが求められている。

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