「超人気ドラマの主演が降板。「演じたくない」理由に賛否の声 | 女子SPA!」

 昔なら「プロだろ」「契約があるだろ」「イヤなら最初から仕事を受けるな」で一蹴されていたと思うが、降板したということは、関係者やステークホルダーらが受け入れた結果ということだろう。

 が、これが反対のシチュエーションだったらどうだったか。

 ストレートの役者がゲイ役を引き受け、シーズン4+9話まで続く大ヒット作となった後、「これ以上ゲイの役は演じたくない」と降板を申し出た場合、結構叩かれそうな気がする。下手すると「差別的」とさえ批判されるかもしれない。「儲かって(仕事に困らないから)ついに本性を出したな」みたいなことも言われそう。

 しかし今回の場合は、周囲は皆「あなたの気持ちはわかるわー」とただ受け入れることでしか「私は差別主義者じゃない」とアピールする術がない感がある。

 最近は、発言・主張の尊重という意味では、マイノリティの方が守られている印象がある。

 白人の先生が、白人の生徒の人種的主張に対しては「差別を助長する」と注意できても、黒人の生徒に対してはちょっとでも注意しようものなら自分が差別扱いされるからある程度見逃す(差別をなくそう運動の一環と見なす)というソレのように。

 発達障害者のパートナーが発症するカサンドラ症候群もそうだし、片側のケアをする場合はケアする側のケアもしないと大きな歪みが生じ、ドナルド・トランプ支持派を生み出すことになる。実際に彼が大統領になってからヘイトクライムが急増している。山口女史が何度か書いていたポリティカル・コレクトネスへの疲れから生じるもの。

 一般庶民は優等生・おりこーさんであり続ける余裕がないし、有名人や政治家のようにそうするメリットも少ない。だから大衆層から爆発しやすい。

 この降板自体は一向に構わないんだが、真の自由・平等とは何かをよく理解した指導者達に政治を委ねないと、今後大きな火種になりそうな予感がする。