「誰もが知っているダーウィンの名言は、進化論の誤解から生じた!(千葉 聡) | ブルーバックス | 講談社(1/2)」

 私が思うには、自分が言っても誰も真面目に聞いてくれないから「あのダーウィンが言った言葉」として発信するんだろう。早い話ブランドのタダ乗り

最近のゲノム科学や理論研究が示した答えは次のようなものだ。
集団レベルの性質ならば、多様でかつ現在の環境下では生存率の向上にあまり貢献していない“今は役に立たない”遺伝的変異を多くもつことである。個体レベルの性質なら、ゲノム中に同じ遺伝子が重複してできた重複遺伝子を数多く含むこと、複雑で余剰の多い遺伝子制御ネットワークをもつことである。
要するに、常に変化する環境に適応し易い生物の性質とは、非効率で無駄が多いことなのである。これはたとえば、行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できないことと似ている。

 私もそう感じる。アレも無駄、コレも無駄と削りすぎゆとりがなくなってきている。そのうち「イチバン無駄なのはヒトじゃないか」という話になる。CO2排出量を減らそうも「オマエのそのため息が無駄だ」的な。アイディア(代替案)もないのにため息をつくな的な。

 そうやって追い詰められた人達は多くの場合鬱を患い自滅する。その結果CO2排出量が減ったと結果論で喜ぶ人達が出てくる。殺伐とした社会。


 話をダーウィンの名言に戻すと、賢いヒトが残る、時代に適応したヒトが残るというのも、後付けでダイナミックな解釈が可能なので、当時どういう意味で言ったかは知りようがない。

 例えば、猛烈に頭が良い人がいる。しかしガンで早死にした。ガンを予測・予防・対策できなかった時点で頭が悪いと捉えるのか、ガンは遺伝(≒運命)だと考えるのか、ヒトによる。

 努力が遺伝を上回ると考えている人達は前者側だろう。努力よりも遺伝が上回ると考える人達は後者側だろう。

 一方、同じ努力をしてもスーパーモデルになれるヒト、なれないヒトがいるという話に照らし合わせると、前者は「スーパーモデルになれないのはアンタの努力が足りないからだ」ということになる。

 これは無理がある。よって努力が全てを超越するわけではない。

 「頭の良さ」に全知全能性を求めるヒトも多い。なぜ戦争を予測できなかったのかとか。予測できても回避できないことも沢山ある。多くのヒトは頭の良い人の言うことを理解できるわけではないから。なぜ先にワクチンを用意できなかったのかとか。ワクチンを用意しても接種したがらないヒトがいる。頭の良い人が唱えるワクチンの有効性を信じないから。宗教を優先するヒトもいる。

 ヒトは神様には成り得ないんだが、本当に頭がイイなら何でもわかるべきだという小学生の問答のようなもの。

 借りに頭がイイ=何でもわかるが成立するならば、頭の悪い人と良い人はもはや別の生き物だということが確定し、階級社会どころの格差ではなくなることを受け入れる必要がある。


 また話は戻って「ダイナミックな解釈」とは、当時頭が良いと考えられていたヒトと、最終的に生き残ったヒトを比べて、後生の人々が残った方が賢い(死んだら意味ないじゃん的な)という結果だけを重視する考え方もある。

 ではスティーブ・ジョブズは意味ないのかと問えばその考え方が正しくはないことが解るんだが。

 最終的には記事の通り「行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できないことと似ている」に行き着くと私は思っている。

 「預貯金する程の稼ぎは要らない。今日飯が食えたらそれでいい」というヒトはぜいたく病であり、稼げる(必要とされる)時にしっかり稼ぎ、十二分に蓄えるべきだと私は言いたい。

 回線や設備、バックアップの多重化も同じで、平常時は無駄なコストに見える。しかしいざとなった時はソレが「賢さ」の結果として評価される。保険加入も同じ。

 パンデミックで多くの人が考え直したとは思うが、ゆとりのある(=豊かな)生活を目指していただきたい。