「生き直し阻むデジタルタトゥー 少年法改正案、メディアに甘く 18歳19歳の実名報道解禁 | 47NEWS」

「メディアをよほど信頼しているのだろうか」

 報道関係者は当然に報道を中心に考えるのだと思うが、社会全体から見れば報道自体の影響力はずいぶん下がっていて、報道機関が実名を出そうと伏せようと、当日中にインターネットのどこからか実名から何から拡散される時代。そこは規制も何も及ばない領域。

 むしろインターネット上に当たり前に掲載されている情報を報道機関が報道できなければ、「何か都合が悪く伏せているんじゃないか」と意味も無く疑われる可能性を考えると、「自由裁量を認める」というのは合理的。静的から動的な判断に。

 しかし実社会では法が及ばない(或いは効力不足)領域での問題の方が社会的重要度を増している。

 税制で言えば、国際化が進み税金の安い国へ本社を移す企業が増えているのと同じで、ある国のルールとは世界全体から見れば“点”でしかない。

 報道も同じく、報道機関に規制を設けても大衆はお構いなし。むしろ報道機関が実名を報道しないから(被害者よりも加害者が守られているという視点で)「代わりにオレ達が」という正義(のつもり)に陶酔している人達も山ほどいる。

 売春の世界も同様に、日本では業としての売春を禁じているが、20年ちょっと前から女子高生の援助交際が流行って以来、大人の売春よりも未成年の売春の方が多いくらいだろう。昔ある首都圏の県警の警部から“最近は交番に「このオッサンがお金(=売春の対価)を払ってくれない」と女子高生が飛び込んでくる”ことがあると聞いた。女子高生は未成年である自分は逮捕されず、買春した大人側が罪を問われることをわかっていて堂々とやってくるらしい。

 暴力団の世界も同じように、暴力団対策法の対象とならない一般の不良集団の方がやりたい放題になっている。

 という社会の実態から、少年法の改正自体と報道機関の役割はもはや重要な関係性がない。

 免許や許認可、資格を取りあげられると商売ができない人達はその法律の存在が大きく、ある程度は自主的に守るものだが、緊急事態宣言下の「要請」のように、強制力が及ばない層の統制が取れなくなってきていることの方が問題で、絶対数で言えばそっちの数の方が多い。

 よって「メディアをよほど信頼しているのだろうか」と問うよりも、気にしてもしょうがない時代になったという方が現実的だろう。「時代には逆らえない」が結論じゃなかろうか。

 年齢とは連続的なものなので「20才から」突然0/1で区切るより、段階的に扱う方が自然。15才と19才よりも19才と20才の方が近いのだから。