検査報告書の見立て。

 昨日知人女性から学校の先生の見解について相談を受け、ふと1年ちょっと前にもらったタンブラーのメッセージを思いだした。

 ゲスト投稿ではなかったのでタンブラー(当時)では紹介しなかったが、ウェクスラー成人知能検査を受け結果が出たばかりという20代男性から、各下位検査の数値と臨床心理士が書いた検査報告書の写真が添付されていて、私の見解を求める内容だった。特に何についてとは書かれていなかった。

 数字と文は丸めるが、大まかに下記の通り。

 下位検査A:130

 下位検査B:135

 下位検査C:140

 下位検査D:120(※)

 下位検査E:130

 下位検査F:135

 下位検査G:140

 下位検査H:130

 下位検査I:135

 下位検査J:140

 全検査IQ:135前後

 検査報告書には、集中力に問題は見られず、検査に対する姿勢も終始良好。気になる点として下位検査Dの結果から、同年代平均と比べ日常的な仕事や作業で遅れを取ることがあり、苦手意識があったり悩んだりすることがあるかもしれません。

的なことが書いてあった。

 私は、ウェクスラーは同年代の平均を100とする偏差値方式ですから、下位検査Dの結果は同年代群の上位約9%に入り、この分野で遅れを取ることはないどころか常に優れた結果を出すでしょう。

とだけ書いて返信した。

 120とは(出所は知らないが)東大生の平均と言われるスコアであり、これを問題視していたら世の中の90%は使い物にならない。そもそも臨床心理士試験の難易度偏差値が49なのだから。

 日本における知能検査は発達障害の判定材料の1つとして使われるシーンがほとんどだろうことを踏まえ、習慣的に最大140、最低120との“差”(凹凸)を気にしたのだとしても、同年代平均と比べて120は何も劣っていない(十二分に優れている)。

 私なら当該臨床心理士に、大学+大学院で6年も学んでこの見立てなら毎日いろいろと大変でしょうと言いたいところ。

 病院ではなく臨床心理士オフィス的なところで検査を受けたとあったので、精神科医のチェックがなかったと思われる。さすがに医者が気付かないということはないと思いたい。

 もし“差”を気にする場合、

 ●140と120の差は、どちらにしても優れている。気にするより無視した方が利益が大きい。総合偏差値70超えの美女に「もうちょっとまつげが・・・」レベル。

 ●100と80の差は、平均を大きく下回る80側が懸念材料となる。これが原因で日常生活に支障を来し悩みが生じるかもしれない。

 ●120と100の差は、「120」な時と「100(普通)」な時のギャップから、120を基準とした(周囲の勝手な)期待に対するがっかり感を感じとってストレスになるかもしれない。100でも十分他の人達と同じレベルなんだが、自分のことは棚に上げて「意外と平凡なのね」的なことを言う人もいるだろうから。

という具合に「20の開きがある」にもいろいろあり問題の程度は同じじゃない。

 このメッセージの主は、全下位検査において平均100を大きく上回っているので何も懸念材料はなく、「いちばんスコアが低かった検査項目Dにおいても東大生平均並みですよ。あとは全項目それ以上」と声を掛ける方が妥当。

 わざわざ苦手意識を持たせたり、劣っている感を植え付ける必要はない。

 と、当時思ったことを思い出した。

 知人女性の相談は子供の担任の見解がちょっとズレてるという内容で、私もズレすぎだと感じた。教育や心理分野とは非常に才能やセンスが問われ、ダメなのに当たるとむしろ傷を拡げたり、新規に傷を生み出すことさえある。

 気をつけてと呼びかけたいが、事が起きるまで良いか悪いかわからないので、気をつけてもどうにもならないのが悩ましいところ。