「フィリピン大統領「ワクチン拒否なら投獄」、接種状況にいら立ち | ロイター」

 ドゥテルテ大統領らしくアグレッシヴだが、日本のような国民皆保険の国こそ、選択に多少の“自己責任”(負担)を持たせてもいいんじゃないか。

 ワクチンを接種するしないを自由意志とした場合(*1)、その後感染した場合の治療費や入院費などは自費にするとか(保険適用外)。

 (*1)感染症の場合、その決断が周囲にもたらす結果に対し本人が完全なる責任を負うことが出来ない。例えば小さな商店主に感染させてしまったことでその店舗が潰れ、店主やその家族が食べていけなくなったからといって“うつした”側が賠償金を支払うわけではないから。そこが交通事故とは違うところ。という具合に少なからず他者に迷惑をかけるため、選択は「自由」であったとしても、社会に対する協力の意志(責任感)という意味合いがある。

 健康保険の財源から見ても、平成30年度の国民医療費は約43.4兆円であり、そのうち16.5兆円が公費(税金)で賄われている。また徴収した保険料21.4兆円も住民税と同じく所得に応じて納めている保険料が異なるため、他者(特に高所得者)による負担で救われている命が少なくない

 資料:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/18/dl/kekka.pdf

 ということから、政府が(希望した)国民全体への接種を完了するとしている11月頃をめどに、その後のワクチン非接種者の感染にかかる医療費は全額自己負担としても良い。

 「すべきだ」ではなく「しても良い」としたのは、今後全く財源に困らないのならしなくても良い(恐らくそんなことはないだろう)。しかしまた誰かに負担を強いるのであれば、そろそろ真の自立とは何かを問うても良い時期ではないかと私は思う。

 例えば、ウイルスの宿主ごとにシリアル番号が割り振られ、かつウイルスが見える化し、この宿主がどこの誰を感染させ、どれだけの損害をもたらしたかが数値化されたとすれば、その日から外を歩くのも危険な人がたくさんいるだろう。

 見えない(証拠が残らない)からこそ他人に恨まれずに済んでいて、なおかつ損害賠償責任を問われないからこそ“自分のケツは自分で拭ける”と考えている人が多い。

 よって設定したある日以降に非接種者が感染した場合の医療費を「自費」とすれば、義務付けなくても接種する人が増えるだろうし、それでも接種しない人は感染しないように今以上に気をつけるので、上手く機能するんじゃなかろうか。