「45歳定年制導入を コロナ後の変革で―サントリー新浪氏:時事ドットコム」

 私もいずれ40才定年の時代になるだろうとは言ってきたが、思いの外早く訪れるかもしれない。

 2000年代と2010年代を比べても2倍以上の速さで時代が動いているし、インターネットが普及する前の1990年代と比べると感覚値で10倍を超える速さ。パンデミック以降は更に加速している。

 それに対しサラリーマンが当時の10倍の速さで進化しているかというと全くそうではなく、35才を過ぎる頃には次第に取り残されていく人が多い。企業側にとっては、その層を昔ながらの男気で抱え込んでしまうと、会社自体が倒れてしまいかねない。

 フランスのパンデミック対策で言うところの再び自由を勝ち取るための制限(責任ある行動)と同じで、会社がなくなってしまえば救える(雇用を維持できる)のはゼロ。全員を助けることはできなくてもせめて半分でもと思えば今行動するしかなという状況下にある。要はゼロより50がいい(マシ)でしょという段階。

 私としては最終的には『知的労働で完全無人収益化は可能か。【予告編】』が着地点だと思っている。

 そうなるべきだとか、それが理想だという思想・主張ではなく、少子高齢化社会で確実に税収が減り、ただでさえ毎年借金を積み重ねている日本は社会保障コストを賄えなくなり、その時こそ命の選別や“優先順位”といったシビアな話になるので、国民1人1人が今の何倍も稼ぎ出す(生産性を上げる)必要がある。すなわち必然。

 それを拒否することとは「高齢者や病弱な人は勝手に死ねば」と同義であり、回り回って自分が年を取った時に自分自身に返ってくる。

 何もしなくても10年後には多くの仕事が自動化され大量リストラが発生するので、60才まで雇うフリしつつ途中でリストラする企業よりも「うちは45才までね」と予め宣言する方が正直でいい。

 一旦は嫌われるだろうし、先行き不安から新卒採用が厳しくなるかもしれないが、そもそも何もわかってない22才の新卒を雇って、60才定年までの38年間当該会社が存続している前提で夢と希望ばかりを語り刷り込むことの方が無責任。本来は。

 「終身雇用」とは、その時まで会社があればの話。

 例えば誰もJALが経営破綻(2010年)するなんて思ってなかっただろうし、当時入社したての従業員達は「もうすぐ倒産するよ、うちは」なんて知らされていなかっただろう。そして10年かけて経営を建て直したかと思ったらまたこのパンデミックで危機にあり、CAは「憧れの仕事」から一瞬で極めて苦しい仕事の1つとなった

 2019年末当時に遡って見れば、半年先のことさえ誰にもワカラナイ時代。

 この「45才定年」とは、45才にもなる頃には自分で稼げるようになりましょうねという“自立”の時代の幕開けだと言える。

 皆が自立し対等になれば、当然に累進課税という扶養の制度もなくなるだろう。自分の分は自分で稼ぐ(賄う)時代。

 というわけで空気感・方向感としては高市氏か。次の総理は。