世界時価総額ランキングで見る、1989年の日本と2022年の日本。

 日の丸が全部星条旗に置き換えられた感じ。

 時価総額とは必ずしも企業の経営状態の実態を指し示しているわけではないが、少なくとも投資家達から見た当該企業に対する未来への期待感は表れている。

 私も2000年代中盤には日本(日本人)に期待することを諦めたが、この2年間パンデミックで空も海も貨物スペースが逼迫している中、ロシアのウクライナ侵攻によって止まったJAL/ANA欧州線の運航再開の遅さを見ていると(欧州国籍の便はさっさと再開し増便計画も発表している)、期待どころかこのインフラ(の一部)の上に存在すること自体がリスクなのかなとさえ思い始めた。

 建築で言えば地盤の弱さ。そこに家を建てたくない。

 一度形ができてしまえば、毎日同じ事を勤勉に繰り返すのは日本人の得意分野。平常時の電車や飛行機などは素晴らしい。

 しかし「走りながら考える」ことが苦手な日本人は、この流動的な時代に対応・適応できる気がしない。ましてや戦争リスクなど考えたこともないほど平和ボケしている。

 走りながら考えようと思ったら、とりあえず走り始めるために「当面の落とし所」を定める必要がある。完全に正しい必要はなく「まずはあっちに向かって走ろう」的な。

 多くの日本人はソレができないので、スタートダッシュが遅れる。そしてその差が縮まらないまま時が流れる。

 世界・時代の流れが急速に速まっているので、リレーでバトンを受け取る時のように先行して走り始めることが重要なんだが、必要なものが全部揃って確認が済み上司のハンコをもらうまで立ち止まっているようなのが日本。

 この流動的な時代に適した思考或いは脳の構造または性格じゃない。多くの日本人は。

 ということから、反復、積み重ね、努力によって育まれる結晶性知能は相対的に見て高いんだろうが、生得的な(すなわち遺伝子の)影響の大きな流動性知能はあまり高くないんじゃないか、日本人。

 ここで言う知能とは、テストの結果ではなく、もっと実社会を生き抜くための本質的なもの。

と感じている。

 一方で、私は昔からウクライナ人(広く言えば東スラブ民族)のことを「強い遺伝子」と表現してきた。貧乏な国だから、他の先進国と比べ教育や生活水準の低さから、表面上はこれまで多少の成績差があったが、この戦争が終わった後のウクライナは、戦後の日本を超えるような復興を遂げるかもしれない。

 岸田政権がウクライナ避難民の受け入れや、ウクライナ経済支援に積極的なのは、そういったところなのかなと思う。

 日本は既に輸出で食べている国ではなくなり、第1次所得収支が稼ぎ頭。すなわち貸しを作って利息で食べるという投資の国。

 言い換えると、日本人の労働力と努力による稼ぎよりも、一部の生得的な投資の才能による不労所得が上回っていて、今後もその種まきは増加しより洗練されていくだろう。

 先進国は遅かれ早かれそうなっていく。通貨高と物価高で、後発国と価格競争できなくなるから、古典的な労働から離れ、より生産性の高い知的労働に移る。というより移らないと食べていけなくなる。

 かつてないほどのウクライナ応援の勢いは、ただの「弱い者イジメはいけない」という正義感を超えた何かを感じている今日この頃。かすかに日本の移民政策の方向性が見て取れる。