あるだけメモリを使う時代に。

 Mac Studioが快適すぎその反動か、古典的な反射して見辛いモニタに呆れている自分が夢にまで出てきた(笑)。

 128GBユニファイドメモリがあれば、向こう5年くらいは在庫山積みの倉庫状態だろうと思っていたんだがそうでもなかった。

 iPhoneで撮影した4KビデオをiMovieで編集中のまま閉じずに1週間使い続けたところ、メモリ使用量が58GBになっていて、10日経過した時点で93GBになっていた。

 iMovieを一旦終了すれば全解放され空きメモリが即座に増えるんだが、この数年は再起動なしにアプリケーションも開きっぱなしで1ヶ月以上使い続けることが多い。

 全くクラッシュすることがない。

 ちなみに再起動後のメモリ使用量は7GBくらいから始まって、何も触らないまま数分もすれば10GBを超えるから最低でも32GBは欲しい。

 以前のiMacが32GBで足りなくなったので、64GBあればいいかなと思いつつ余裕をもって128GBにしたんだが、あるだけメモリを使う時代になった。

 128GBとは最新のPhone 14 proのエントリーモデルのストレージ容量と同じレベル。

 64GBだろうと128GBだろうとMacの物理的な設置面積も体積も変わらないからオモシロイ。同じ箱の中に存在するメモリ空間が異なるとは、ドラえもんのポケットのような四次元の世界のように思えてくる。

 もちろんHDDもSSDにも同じことが言えるんだが、電源を落とすと情報が失われるメインメモリは、HDDやSSDのような記録・保存装置ではないため、“記憶”領域としてより物理的な存在から遠く感じる。

 昔でいえば、とっさに紙と鉛筆でメモをとったものか、暗記したかの違いのような。

 ヒトの脳で言えば、作動記憶(メモリ)と長期記憶(ストレージ)か。作動記憶領域が大きければとてつもなく処理速度が速くなると考えられる。パソコンと同じ。

 よってヒトの「知能」の機能性に記憶力も絡んでいると言える。