「ひろゆき氏 “カリスマ教育ママ”の発言を疑問視「優秀な遺伝子の子供が産まれただけなのに」 | 東スポWEB」

 誰もが希望を持ちたいから、遺伝で片付けるより方法論を語る方が儲かるというのが実際のところ。

 もちろん私は後天的な方法論や努力よりも生得的才能(遺伝)派。

 勉強の才能(日本の場合主に記憶力)も、勉強を努力する性格も、毎日学校や塾に通う勤勉な性格も、目標に向かって頑張る(諦めない)という性格も、同じ事を繰り返す(反復学習)ことができるという性格も遺伝的特性で決まる。

 すると手柄は親2人で折半(笑)どころかその先祖代々にまで遡るので、称賛対象としての“取り分”が減る。

 そこで子育てや教育方法が優れていた結果だとすることで、育ての親は手柄を独り占めすることができる。

 その手柄を独り占めしたがる性格もしゃしゃり出てくる(笑)性格も遺伝的性質なので、子供にもしっかり引き継がれている可能性があり、将来的に「上司にしたくない人」になるかもしれない。

 だとすれば、名門バレエ団が「親の体型を見る」ことの合理性を裏付ける1つの材料となり得るので、遺伝派の私としては是非とも経過と結果を見届けたい。

 「凡人4人の母親」を観察してもしょうがなく、「4人の子ども全員が東大理科三類に合格した“カリスマ教育ママ”」はサンプルとして貴重な存在。

 というわけでホリエモン氏もモギケン氏も含めよってたかって否定せず、先進的なテクノロジーに消極的な母親からどういう子供が育ち、どのように社会に適応し活躍していくのか、もしかしてその方が良いのかも的な検証視点も持ちつつ、見守ってみるのもイイんじゃないか。

 女性が機械に疎かったり先進テクノロジーに対し消極的・否定的だったりすることに男性は慣れていて(少なくともこれまでは)、意外にそれ自体は大した影響がないかもしれない。

 むしろよくワカラナイ得体の知れないものに子供を近づけようとしないのは母親としての自然な行動であり、子供達が抑圧感よりもその愛を感じているならば(そこの感受性も遺伝)、その辺の空気が読めないテクノロジーオタクよりも真っ直ぐ育ち社会に出てからも楽なんじゃないかというのが私の見解。

 社会の評価とは、才能よりもコミュニケーション能力や人柄(認知も含め)が上回ることが多々あることから、母親が子供の教育現場にChatGPTを使うことに対し否定的な発言をしたからそれがそのまま子供達の人生に影響を及ぼすほどかというとそうでもないだろう。

 補い合うのが夫婦なので、足りないところは父親の出番じゃないか。