行列推理と人工知能。

 知能のブログを書き始めた2015年当初は、行列推理はある程度ヒトの知能を測定するのに適した試験項目だと考えていた。慣れと筋肉化による偏りはあったとしても。

 が、その翌年には「しばらく無理」と言われていた囲碁でもAIが勝ち(なおかつ機械学習で)、その後負け知らずとなり私は2018年04月に“第一シーズン”を閉じ、知覚・認知領域に話しを進めた。

 要は単体の演算能力を問うてもしょうがない時代になったということ。単体能力はいずれコンピューターが上回ることは四則計算を筆頭に最初から解っていたことだし、もともと全体性(ホーリズム)、統合知能(知覚・記憶・認知の統合)、そして未知の嗅覚性の本能的な知能に話を進める予定でいたので展開が早まっただけなんだが、正直なところ5年くらいは第一シーズンのノリで続けられるかと考えていた(笑)。

 本を読まない私は今朝知ったんだが(笑)、ニューラルネットワークやディープラーニングの生みの親と呼ばれているジェフリー・ヒントン認知心理学者らしい。コンピューター科学も専門らしいが、日本の心理学者とはスコープ(守備範囲)が違う。

 通りで人工知能領域で“認知”機能や「行間を読む」とか「文脈理解」が重視されているはずだ。ただのコンピューターオタクの机上の計算式だと最初に無視される領域。自分自身がソレが苦手な人が多い業界だから。しかし現在の人工知能の研究は人間(の脳)に寄り添った考え方が細部に現れている。だから第三次人工知能ブームは軌道に乗ったのだろう気がする。

 現時点でも行列推理をAIに機械学習させれば人間より遙かに高い能力があり(そして速い)、もはや「四則計算でCPUと競争しますか?」というレベル。

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 珍しい問題(すなわち人類の思考の片隅)については最初は教師あり学習が必要かもしれないが、この時代他のジャンルも含めて類似思考パターンが存在しない場合、解く必要のない問題(必要のない思考)と見なされ枝刈りに遭うかもしれない。そこはコストを見た合理的な判定なので、AIが解けるか解けないかと、解くか解かないかと、解かせるか解かせないかは分けて考える必要がある。言い換えると、人間がAIに解かせようとしている問題こそ値打ち(需要)があると考えることもできる。そこは相場観で判断するしかない。

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 だからこの能力がどれだけ優れていても、この先「飯の種」にはならないだろう。

 もちろん行列推理に限らない。例えば大腸癌の予防のため内視鏡検査を受けた人達がその後大腸癌になったケースにおいては、58%が医者の見落としとされている。AIでは98%の精度でポリープを見つけ、僅か33ミリ秒しかかからない。

 「専門家」「プロ」と言っても、ヒトの能力はそれなりに低い

 私が好きな(古典的な)暗号解読も同じ。もはや人間が時間を使って解くようなものじゃない。コードを書いて総当たりする方が間違いなく速いし、AIに機械学習させたら解くとか解かないとか、そんな言葉さえ必要のない時代。

 ただしAIは「駄問」には弱い。法則性・規則性が危うい素人が作ったような暗号文は人間の文脈解釈力の方が今のところ優れているが、2029年には汎用型人工知能(AGI)が登場すると言われているので、この能力もいつまで優位性を保てるかはわからない。

 よって今後(向こう10年)必要な知能(「進化」「生存」という大局観的な)とは、コードを書いて自動化する、人工知能を作る側に回る、或いは人工知能を活用したサービスで稼ぐ力だと言える。

 ※自動化するメリットとは、空いた時間で他のことを学ぶためという意味もある。

 幸いにもコンピューター科学者達とはビジネスに疎い人が多いので(それでいて開発資金=スポンサーは必要とするから)、今後も商売センスは重宝されると思うが、問題はAIを理解していないと、AIじゃなくてもできることに投資しすぐにAIに置き換えられたりしてしまう可能性がある点。

 セキュリティも含め、経営者は全体を見ていればイイ時代ではなくなった。

 現代版知能指数とは偏差値であり、偏差値とは相対的な位置(出現率)で決まるものであり、すなわち相場だという大前提に立つと、現代の能力評価は数年前の仮想通貨のように入れ替わりと値打ちの上下が激しい。

 だから「自分には○○がある」という考え方は非常に不安定だと言いたい。自分を奮い立たせるための心の支えとして、自己啓発としての効果は無視できないが、将来的な不安定さと照らし合わせると、「何かの能力を持っているから安心」と考えるよりは、日々学んで吸収し進化し続けられる学習能力に自信を持てるよう努力すべきじゃないかというのが私の見解。

 あと流れを読む相場観