「なぜ、コロナ禍でもマンション購入者が減らない? マイホームを「今、あえて買う」理由とは(櫻井幸雄) - 個人 - Yahoo!ニュース」

 在宅ワークがスタンダード化しつつあり、自然な流れだろう。

 ワンルームで夜同居人に気を遣って電気が付けられないとか、狭くて音を立てられないとか、イチイチ家族の声や姿が入り込んで電話やテレビ会議ができないという環境では仕事にならないから、自宅にお金をかける価値がある。オフィスワークに戻ったとしても、自宅はなくならないから。

 もちろん既に家を購入し住宅ローンを抱えている人達がこのパンデミックで支払いが滞り、家を手放すことになる、または差し押さえられたり破産するというケースも沢山あるだろう。しかしみんながみんな収入が減っているわけではないので、高い賃料を支払ってきた高給取り達が分譲購入を検討・切り替える機会でもある。

 すなわち入れ替わりの時期。片方向に動いているわけではない。

 何も所有しないという、流行のミニマリズム(っぽい)考え方は、「いつでも手に入る(供給が潤沢である)」「必要な時にいつでも買える(手元資金が潤沢である)」という場合に上手く機能する。

 言い換えると贅沢の極み(または平和ボケ)。

 例えばお片付け術などで言えば、本人はモノを大切にしているつもりでも、下手に溜め込んで保管に場所を取っている場合、その面積当たりの賃料を換算したらいくらか的な考え方。使いもしないものに潜在的な場所代を払い続けるくらいなら捨てて良く使うものに置き換えようという考え方。良く言えば有効率や生産性重視の思考。

 しかしそれはいつでも手に入り、いつでも買える場合であり、パンデミック初期のマスクやアルコール、トイレットペーパーのように、備えがあった人は焦らずに済んだだろうし、在庫を持てあましていた人達は売って儲かりさえしただろう。

 これらはカロリーと似ている。昔は脂でも砂糖でも何でも重要なエネルギー源だったし、エアコンがない時代の寒冷地では脂肪を蓄える必要があった。今は暖房設備も行き届いているので、冬を越すために脂肪に頼る必要がないどころか健康面から見て敵視されている。その代わり長期の停電などが起こると余裕(蓄え)がない分すぐに逼迫する。

 だから昔の人は痩せているよりふっくらしている体型を好む。豊かさ=安心感なんだろう。

 「備え」とは、供給が潤沢な時には無駄・余分・過剰に見えるが、逼迫してくると「コツコツと貯めて置いて良かった」=備蓄と化する。

 回線やストレージの冗長化と同じ。使いもしないもう1本の回線に費用を支払い続けるのは非常に無駄に見えるが、いざというときは即座に切り替えられ、全体として見れば従業員の職を維持することになる。

 だから本当に無駄・過剰なのか将来への備え(いつか役に立つ)のかの判定はその場ではできないものだが、今の時代一見無駄に見えるものは全て排除しようとする傾向が強い。豊かな時代の弊害的思考でもある。

 家も「いつどうなるかわかんないし、高額なローンを抱えて生きていくくらいなら賃貸でイイじゃん」的な考え方は、いつでも賃貸住宅を借りられて、その家賃を払い続けられる前提での話。

 住宅ローンも同様に払い続ける必要があるが、完済すれば自分のもの。

 それに必ずしも全員ローンを組むわけじゃない。私は住宅の購入で一度もローンを組んだことがない。全てキャッシュ。売る時はいずれも買った時と同じ値段かそれ以上で売れたので、物件選びもまた人生設計に必要な能力の1つ

 パンデミック初期の頃に書いたが、皆が出勤しなくて良い社会にはならない。サービス業は自宅でサービスするわけにはいかないし(できても設備が劣る)、小売業は自宅に在庫を持って展示するわけにもいかない。通販業は倉庫に行かないと商品がないので、家で梱包・出荷作業はできない。日本は先進国の中でもそれらの業種が多くなおかつ自国民(※)が行っている。

 ※海外は低賃金の移民。すなわち「仕事があるだけありがたく思え(=リスクが高い職種)」という世界。当然保障もない。

 よって電車や駅等にリスクがある場合(停電や悪天候時も含め)、「勤務地の近くに住む」ことに意味を持つようになる。雇う側も交通費に払うなら近所(都心)の家賃の差額に充てた方が良く、私は再び都心一極集中の時代だと予測している。