鼻出しマスク失格男問題から垣間見るもの。

 擁護派は、こうした定形外・規格外・想定外に対し可能性を見いだしたい気持ちが強い印象がある。画一的な教育や対応が、個性や可能性を潰している的な。

 60-70年代のロックの時代はそういった精神性が文化を創ったようだが、80年代以降の成功組を見ていると割と真面目な手堅い人が多い印象で、今はみ出し者に期待するのは時代にそぐわない(生産性が低い)んじゃないか。と私は思う。

 スティーブ・ジョブズは偏屈男として知られていても、実際にやっていたことは昔のMade in JAPANのように高品質な物作りに徹していて、彼の優秀さに負けて他者・他社が壊れた(淘汰された)に過ぎない。

 多くのロックミュージシャンのような「人と違う」「既成概念をぶっ壊す」ことが目的でもなければ目標でもなく、持って生まれた卓越な才能とセンスを前に古典派が淘汰されているだけ

 アップルが世界最大の会社となる頃には既に超真面目企業の筆頭だった。

 これらはイングヴェイと麻薬漬け破壊系ロックバンドの違いに似ていて、圧倒的才能によってもたらされた“結果”としての破壊と、破壊を目的とした破壊行動との違い。

 未だ暴走族が何かを生み出したという話は聞いたことがない。

 マイクロソフト創業者のビル・ゲイツはハーバード大(中退だが)出身の典型的な学歴エリート気質。アマゾンのジェフ・ベゾスなんて(GPA4.2でプリンストン大学を卒業 ---Wikipedia ※4.0が最高値ではないらしい)極めて手堅い本の小売りから創業している。それがインターネットだったから古典的な地上の本屋を崩壊させた異端に見えているだけで、もとはただの小売り業。テスラのイーロン・マスクは生粋の理系。

 誰も環境や教育で押さえつけられるような存在じゃなく、むしろ才能と時代を謳歌している。そして堅実

 はみ出し者が成功する(ように見えた)時代は終わった気がする。はるか昔に。

 Facebookのザッカーバーグにはサイコパシーを感じるが、他人が作ったFacebookを横取りして普及させたのであって、特に何かを生み出したわけではなく、根っからのITオタクビジネスマン。

 共通しているのは、皆仕事が好きで仕事に人生を捧げているという点。駄々をこねていい歳してトイレに立てこもるタイプじゃない

 学歴社会に埋もれ、画一的な教育が才能ある若者の芽を摘んでいるという主張は昔からある。しかしもう十分に社会は熟れてきていて、インターネットによって田舎だから入ってこない情報とか、大学に行ってないから入ってこない情報といった情報格差はほとんどなくなった。あるのは才能格差だけ

 そろそろ「与えられた(恵まれた)環境で何ができるか」という位置についてもイイんじゃないか。社会や環境にケチを付ける時代は終わり。

 ※昨年07月に「突拍子もナイこととは。イノベーターと非常識」に近しいことを書いている。

 確かに多様性の(理解に努める)時代だが、それぞれの群の平均を広く受け入れることを目指している社会であって、端と端が手をつなごうとしているわけではない。

 箱ひげグラフで言うと、天地を結ぶ線ではなく、真ん中の50パーセンタイルを結んでいく社会。群の網羅性は高いが、詳細性は低い。言うならば、オバマ元大統領を引き合いに出し「黒人でも大統領になれる時代なのです」と励ますことはしても、白人の上流階級が、黒人の貧困層と共同生活を求めている時代ではない。

 むしろ対応コストを吸収できない現実問題と向き合う段階にあり、どちらかと言えば逆戻りが始まる頃合いだと私は感じている。

 そこで今になって定形外・規格外の極端な存在を擁護したところで、何かが良くなるとは思えない。

 例えば「試験会場側はこういった想定外にも備えるべきだ」と言うのは簡単だが、ではナイフを振り回す奴を想定して警官を配置するのか、銃乱射に備えて軍(自衛隊)による警備を検討するのか。

 そんなお金持ち国家ではない。日本は。特に今社会はゆとりがない。

 このクラスの想定外(確率的な意味合いも含め)になると、それも踏まえて行動するためのコストを考えたら排除する方が合理的と判断されるのは大人ならわかるだろう。

 それがわからなかった49才がどうなるかが示されただけだと思うが。私は。