知能税は固定資産税か(笑)、遺伝子税か。

 前稿でも触れた知能税は、結局のところ遺伝子税だと言える。

 たった一人の頭脳と労働によって富が生み出された(誰も雇わず誰からも搾取していない)場合、富の再分配の名のもとにその所得に対して高い税率をかけることを真だとするならば、優が劣を扶養する義務があると言っているようなもの。家族でもない他人を扶養する義務。

 「(強い)男が(弱い)女を養うのが当たり前」なんて言ったら時代錯誤もいいところと大騒ぎになるだろうこの平等(対等)の時代に、ソレを不思議だと思わないことが不思議。

 能力差については絶対なのか。

 「富の再分配」とは、特権階級が支配していた時代の言葉(概念)であり、どうにもこうにも動かせないエスタブリッシュメントを「社会的強者」と認めた上で富に流動性を持たせようという仕組み。

 しかし今の時代、ただのサラリーマンの家の出だろうと自宅で富を築くことができる。最近の大富豪達はほとんどそう。

 というわけで、もし高い知能(または才能)によってもたらされた他者に依存しない利益に対し高い税率を適用するならば、それはもはや「知能税」(または能力税)だと言える。

 ※ココででは知能だろうと能力だろうと呼び方にはこだわらず、最終的には遺伝によってもたらされた才能(或いは容姿)によって生み出される富について考察する。

 例えば「平均的な人よりも簡単(効率的)にお金を稼いだ」(=「楽をした」という発想・思考による)のだとすれば、努力しても芽が出ない人達に配慮して高い税率を適用したとする。

 ※意識高い系が流行っているんだから、そもそもその“配慮”って上から目線じゃない?と考えないこともどこか矛盾している。もらえるもんはもらっておこう的な思考か。

 「簡単に」「楽をして」を仮に事実だとするならば、なぜソレが実現できるのかというと、高い知能または能力が備わっているから。

 反対向きに見たら、ソレができないのは知能または能力が低いからであって、該当層を社会的弱者と見なし、「高い知能(能力)の者が養うべきだ」という発想・思考だと言い換えることができる。

 いいのかそんな認定をして。

 そしていずれ知能とはほぼ遺伝だと決定付けられたとき、知能税は必然的に「遺伝子税」であることが確定する。

 遺伝子とは動かぬものだから固定資産税を適用しようという話になるのか(笑)。持っているだけで課税される的な。

 或いは知能(能力)が高いだけで富を生み出すとは限らないのだから、富を産まなければ非課税、富を生み出したときに「高い知能によって他人よりも簡単にお金を稼ぐことができた」ことを理由に高い税率を適用するのか。出来高税率。

 はたまた知能とは遺伝であり、生命の誕生の時点で“相続”するのだから、生まれたその日に相続税を課税しようかという話になるのか(笑)。相続を放棄しようとすると本人が死を選ぶことになる。


 少し角度を変えて心理面から見てみよう。

 自己啓発系の「取り柄・特技を伸ばそう」の根拠に従うならば、何かしら優れている人は自己肯定感が高く、一方で取り柄がない人は卑屈になって引っ込み思案になるからチャンスを逃しやすくなるという性格への影響まで考慮するならば、社会人となる時点で既に大きな差があるのだから(=不公平という考え方)、結局は遺伝子(持って生まれた能力)に課税するしかないと言うことなのか。

 しかしこれでは遺伝子レベルの特権階級が誕生(認定)することになる。

 ※世の中には「劣等感や悔しさがバネになる」という考え方があるので、仮にそれを真だとすると、「劣等感によって富がもたらされた(有利に働いた)」=劣等感がない人は不利なので、劣等感持ちに高い税率を課税しようとは考えないのか(笑)。考えないのだとすれば必然的に劣等感は良いものとして見なされていないということであり「劣等感や悔しさがバネになる」は“真”として公に認められていないと言える(すなわち根拠に欠けるということ)。


 遺伝子に課税したらその時点で差別であり、課税されない人との優劣を税法上決定付けることになる。更には課税されなかった時点で「科学的・生物学的に期待されてない感」を生涯味わうことになる。

 ということから、階級制度が当たり前で支配階級が牛耳っていて(いわゆる貴族と奴隷が生まれながらにして確定していた社会)、頭数を必要とする職がほとんどかつ他人をこきつかっていた時代の概念である累進課税制度(富の再分配)は暗黙の格付け制度だと言え、これだけ平等(対等)を求める時代なのだから、そろそろ税率を一律化(フラットタックス化)した方がイイんじゃないかというのが私の考え。


 年に何十億円も稼ぐスーパーモデルなんて99%が遺伝子から生み出される富だろう。体型維持に信じられないような努力をしていたとしても、その“素材”を持ってない人が同じ努力をしたところで同じにはなれないから、結局のところ遺伝子あってのもの。

 一方で、グーグルやアマゾン、アップル、フェイスブック、マイクロソフトなどは職種としては先進的だが、企業という組織構造は古典的。経営陣と何万人という従業員や下請けの上に成り立っていて、工場で過労死が発生したりもするので、支配階級である経営陣に対し累進課税を適用するのは理に適っている。

 ※フェイスブックや今のマイクロソフトは工場を持たないかもしれず中間的な立場か。

 ココで前提としているのはそれよりももっと先進的なたった1人で稼ぎ出す人達が増えた場合の話。古典的な構造体(組織)に所属していると考えることもないまま時間が過ぎ去り、気付いた時には新しい階級社会の中に居たということが起こりうる。

 そのうち「雇用」は減り、皆個人事業主となる可能性がある。すなわち狩りが得意な人に狩りを任せる分担社会から「狩りは自分でしましょうね」という自給自足の時代に向かいつつあるように感じる。


 というわけで世の中どういう方向に向かうのかワカラナイが、そのワカラナイという不確定性に対応できる柔軟な脳でスタンバイしておく必要がある。過去を学べば未来が読めるという考え方もあるが、それは無難な延長線上に未来がある場合の話であり、ある日突然直角に折れ曲がるかもしれない時代にはあまり役に立たない。

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誤解がないよう申し添えておくと、私は納税に反抗したことがない。納税支持派なので、税金を納めたくないからこの主張をしているわけではなく、飽くまで富の再分配とは平等(対等)社会には不向きな制度だという論。

※なぜ納税支持派なのかについてはまた後日。

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