続:単純労働で月給100万円は可能か。【第七回】

 一週間前に10月分を書いたばかりだが、11月の30日間で1,200万円を超えた。

 ここのところ突発的な売上げ増で、3日間の移動平均から線形推定すると月5,300万円という勢いだったので、結構ムキ(笑)になって対応した。

 「した」というより対応中。

 5,300万円×0.4(手取り利益率)×12ヶ月=2億5,440万円の年収の仕事量を体感し、確実に言えることは、(以前にも似たようなことを書いたが知的労働による稼ぎと違って儲かれば儲かるほど自分の時間が失われるということ。

 ※現在は偶発的に利益率が60%を超えている。

 時間が失われるということは、儲かったお金を使う機会も失われる。

 単純労働とは働いた分しか儲からず、働き続けることで売上も信用も積み上げられていくので、1年だけ働いて翌年は何もせず更に翌年再開するといった自由かつ都合の良い選択肢はナイに等しい。ゲームのポーズボタンのように、止めたそのシーンから再開できるわけではないから。

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有形製造業と無形ソフトウェア産業においても、需要数量を作り続ける古典的な製造業に対し、1つ完成させたら後は複製(デジタルデータコピー)で良いソフトウェア産業とで大きな違いがある。

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 こういった古典的な労働方式では、休めば振り出しに戻り、ソコを取り戻すのにまた時間がかかるため、働き続けた方が効率が良いという構造下にある。よってどんなにお金を手にしても、見た目(金額)ほど人生は豊かにならない。下手すると身体が壊れるまで働き続けてエンディングロールが流れる的な。

 ということから知的労働で稼ぐのと単純労働で稼ぐのとでは、例え同じ収入を得たとしてもそこからもたらされる充足度や満足感が異なることを意味する。

 ※「人を雇えばいい」というのは当たり前の発想だが、この企画は労働者1人あたりの生産性についての考察なので趣旨と異なる。

 私はどっちも対応可だが、ゆっくり時間をかけて考え創り上げ、完成したら後は寝ててもお金が入ってくるという知的労働の方が性に合う。昼間太陽の下で葉巻とシャンパンを楽しむ日々の方が結果的に健康寿命も長いだろう気がするし、そのうち「寝ても疲れが取れなくなった」とか言い出す可能性はゼロではないので、中年以降はいずれにせよ知的労働で高い生産性(と収入)を維持する方が良い。