「メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由 欧州の政治家は「弁論力」がすごい | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)」

 1年前の記事だが、私もそう思う。

 が、オモシロイことに、有事において強いリーダーシップと優れた演説を行う欧州のどこもパンデミック対策は上手くいっていない。

 その一方で、のらりくらりと本当にこの人についていっていいんだろうかと不安になる政治家ばかりの日本は、少なくともオミクロン株前までは先進国一の優秀な成績を収めていた。

 単一民族の日本ではウイルスが変異しづらいだけかもしれないし、最近では『「ファクターX」は日本人6割にある白血球の型か』という話も出ているので、単に偶然日本人がコロナウイルス耐性を持ち合わせていただけかもしれない。

 結局のところ、「政治家の能力・手腕によるもの」と目に見えた成果をあげている国はなく、全ては偶然性の中にかすかに存在する確率的傾向による明暗でしかないのかなと思う。

 そのかすかなものに光をあて、解明・明示するのが科学者・研究者の仕事だが、そもそも我々自身の生物としての全容や、宇宙の構造自体が全て解き明かされているわけではない。

 ビッグバンで爆発して砕け散って飛んでって猛スピードで回転し偶然引力が釣り合ったところに収まっただけっぽい地球に住んでいる生き物でしかない。我々は。

 それを「全知全能の神が創られたのだ」と説得し、2000年もの間納得させる力を持っていたというのがキリスト教が普及した根源でもあると思うんだが、そのいわゆる“弁論力”もウイルスという理系社会においては上手く機能していない。

 メルケル首相は理系の出なので、日本の文系政治家のように「専門家のみなさんのご意見を」としか立場上言えない群とはノリが違うのは確か。

 しかし、だからドイツが上手くいっているかというと正反対で、もはやこのパンデミックにおいて「欧州の優等生」の名を失った感さえある。

 すなわち、弁論力が及ばない世界(または時代)を生きている。

 ということを昔から感じていて、私はあまり議論しない。

 考えることは放棄しないが、議論はしない。

 恐らく、これらの微妙かつファジーな存在の方が“全体”に占める割合が大きく、“部分”についてどれだけ議論しても、そもそも部分の総和以上の何かである全体(=ホーリズム)は見えてこないだろう。

 議論するとどうしても“点”の解決に集中してしまいがちで、曖昧な「偶然の集まり」のようなものを見落としやすい。

 だから議論は他人に任せ、私はしない。

 こういう時に“嗅覚”(本能性の何か)が重要なんだろうなと、漠然と思う。