「母親が宗教団体の信者「多額の寄付で破産」「絶対に成敗」…安倍氏には「つながりあると思った」 : 読売新聞オンライン」

 普段あまり報道の影響を受けないタイプだが、今回はかなり凹んだ。

 昨日午前11半頃、安倍元総理が「撃たれた」という速報を見てからずっと心が重苦しく、17時半頃出先でiPhoneに配信された号外で死去を知った。人目をはばからず大きなため息が出た。

 私は安倍元総理の支持者でもなければファンでもないが、その存在にとても大きな意味を持つ数少ない政治家だと思っていて、惜しい人を亡くしたというか、残念でならず、虚しさとやるせなさで、ついため息が出た。

 ましてやこんなどこのウマのホネとも知れない男の手製銃で命を奪われるなんて。

 別の記事では「母親が宗教にのめり込んだ」とあるが、最初に報道で犯人の映像を見たときにそう感じた。雇われの任務遂行型(いわゆる殺し屋タイプ)と異なり、1日中特定の掲示板などに貼り付いてそうな、偏った思考の行き着いた先。私が普段から良く使う言葉で言えば、思考の変質性。因果関係、相関関係が適切に判定できず、特定の思考に深く入り込むタイプ。陰謀論にハマる人達やストーカー(「20代女性を待ち伏せして首を絞めた後、なぜか“告った”ストーカー」)などと似た思考回路。それが顔に出ている。

 この20年宗教団体に所属する人は減っているが、自分の独自の思想を信仰している妄想性障害気味の人は増えていると感じる。

 自分と他人の境界が危うく、信じて行動しても失敗すれば誰かのせい。言い換えると他人の影響を受けやすい(支配されやすい)人達。

 そういう人が増えたらそれに対応していくしかないんだが、今はどうにもこうにも残念でならない。