「赤ワインが飲める人なんで」とは。

 街のサロンでアロママッサージを受けていたら、20代の女性セラピストが自分自身のことを「私、赤ワインが飲める人なんで」と表現した。

 「白ならって人多いじゃないですかー」と続き、その後の話っぷりを聞いている限り、どうやら赤ワインが飲める人=大人という意味合いらしい。

 昔はとりあえず赤ワイン、何でも赤ワインみたいな人が多かったが、イマドキの若手女性にとっては赤ワインのタンニンの渋みがどうやら「まだ早い」(大人の味)的な代物らしい。

 日に日に日本人の文化水準が下がっていっているのを感じる。

 お酒に限らず、味覚とはとてもスケーラビリティに富んでいて、食べた(飲んだ)分だけ成長するので、表現を聞くだけで食べた(飲んだ)ことがある・ナイがすぐわかる。

 色んな味を知らない(味覚的多様性に乏しい)人が多く、ハーブなどをただ「苦い」と感じる子供(未成熟)の味覚のままの人が多い。

 所得格差=体験格差だと感じる。

 サービス業に就く人とは親もサービス業であることが多く、事業主でない限り通常は平均よりも所得が低く、非高学歴であることが多いことから、親がスーツを着ない→ネクタイやベスト、上着を見慣れてない→コートの上にジャケットを着せようとするとか、親が革靴を履かない→靴べらの重要性がワカラナイとか、社会に出て教養レベルの差が大きく出る。

 海外じゃホワイトカラー/ブルーカラーのいわゆる階級差として「あるある」レベルだが、日本でも特にこの10年でソレが目立ち始めた。

 従業員の教育でイチイチ習わない領域なので、この差が埋まらないまま。

 それどころか、接待交際費が削られ男達は萎み、女性達は男が奢ってくれなくなった分、昔と比べて体験に限界がある。皆が自分の所得の範囲しか世界を見ることがなくなった。

 所得格差が体験格差に直結する時代となり、物価に対し相対的かつ全体的に所得が低い日本人は、何も知らないまま大人になり、何も知らないがために“感じ方”を知らない人が増えた。

 感じ方を知らないと表現の仕方も知らないままなので、必然的にコミュニケーションが単調になる。

 ほとんどが「ヤバい」に集約されていて、「素晴らしい」側も「なんてこった」側も全部ヤバい。

 グーグルの検索窓のキーワード候補も「○○ ヤバい」が表示される時代。

 まさしくヤバい状況にあるが、もう憂えてもしょうがないところまで来たので、ココ数年で楽しむ側に回った次第。