エルメスは担当制なのか。その1。

 私は世間の定説である「1人の担当者から買い続ける」ことをしていない。

 毎回その時その場で割り当てられたスタッフから買っていて、取り寄せを頼んだスタッフから商品が届いた電話をもらっても日時の約束はせず、突然行って店側が割り当てたスタッフから買っている。

 「アホかアンタは」とか「ホントにIQ 156もあるのかオッサン」とか罵りながら、お酒のつまみにでもしていただけたらと思う(笑)。

 私のプロファイリングでは、エルメスは担当制ではない。

 ※今更言うまでもないが、逆張りで注目を集めようとかそういう性格じゃない(笑)。

 購入時のスタッフを符号化すると、

 [1]AA(CC)、[2]AA(DD)、[3]BB、[4]CC(EE)、[5]EE、 [6]FF、 [7]FF

という具合。同一店舗で、()付きは予約を受けたスタッフと受け取り・決済時のスタッフが異なる場合で()内が後者。[3][5][7]以外取り寄せ。

 いずれも7〜16万円の品。

 バーキンのサイズ・色の希望といつまでに必要かを聞かれたのは[6]の取り寄せを頼んだ時(累積60万円台時点)。

 名刺ももらってないし、スタッフの名前も聞いてない。先方は入荷連絡の電話で最初に名乗っているが、それが予約を受けた人と同じ人かどうかワカラナイ。店頭接客したスタッフの名前を知らないから。

 ヨーロッパでも、同一店舗の同一スタッフから買い続け、プレタポルテ(服)や時計を買うと評価が高いと信じている人達が一定数いる。

 以前「転売のしやすさ」という視点で書いたが、確かに服(直し有り)は本人利用の可能性が高く、少なくとも転売判定期間を短縮できるだろう。日本人女性の体型的に直しナシでそのままピッタリという人はほとんどいないだろうことから、日本は特に「プレタこそがバーキンへの近道よ」と思い込まれやすい環境(体型)下にある。

 ※違うという証拠があるわけではないので、世間が言っていることが本当にそうなのかと再考するきっかけとして読んでいただきたい。

 一方時計は転売しやすいが、ロレックスのように転売市場で定価以上のお金を払ってまでエルメスの時計を買いたい人は少ないか居ないので、業者は儲からないため疑われることもないだろう。言い換えると、大して人気のない商品だからこそ、エルメスは買ってくれる人を歓迎(優遇)するはずだと考える人達がいるのは理解できる。

 が、これはサラリーマン(会社に評価される側)の視点。すなわちバーキン・ケリーの本来の想定客ではない層の思考だと私は感じる。

 確かに、一般的な社内評価としてはそうだろう。置いてるだけで(隠してても名指しで)売れるバッグを売ってもそれはスタッフの努力や能力とは関係なく、人気のない商品をどれだけ売ったかが販売員としての評価対象となることが多い。

 しかしエルメスの場合、結局はバッグ目当てで他の品を購入する人が多数なので、服や時計を売ったから販売員として能力があるわけでもない。極度の品薄の今は特に。

 要はバッグを餌にすれば客は買うから。

 ましてやこれだけ「1人の担当者から買い続けること」が定説となっている以上、客が店員に媚び、いわゆる「担当サン」を喜ばせようと、人気のない品を喜んで買うお布施客が増える。

 エルメス自身がそれを一番良く理解しているはずであり、これは内部崩壊を招くし、商品開発に危機的脆弱性を抱えることになる(本来人気のないはずのものが売れてしまうから方向を見誤る)。

 会社が小さいうちは競合などの外的圧力から防衛する必要があるが、組織が巨大化すると内部崩壊リスクの方が高まり、敵は外ではなく内にいると見なし統制を保つことが重要になってくるのが大規模組織の常。

 早い話「エルメスのバッグを餌に店員が何をするかわからない」というリスクに備える必要がある。エルメスは。

 賄賂で融通するとか、接待や贈答品を要求するとか。欲しくもない商品を買わせるとか(賄賂が形を変えスタッフの「成績」と引き換えられた状態)。

 実際15年ほど前にパリのエルメスで、手数料(賄賂)と引き換えにバーキンを融通していたことがバレ2人が解雇されたと聞いた(真偽は定かではない)。大した額ではなく500ユーロ(当時のレートで8万円くらい)。客から見れば、通称「エルメスゲーム」に乗って何百万円も消費するより、スタッフに8万円渡した方が安いし早い。

 欧州でも「エルメスゲームに疲れた」と言う人達は多く、放置すればこういったことが当たり前になる。

 「日本の中古店でよりどりみどりの中からバーキンを選ぶ」ことを目的に訪日する人が多いことを考えると、正規店で買えるとなれば、この「手数料」は100万円台になっても支払う人がいるだろう。すると「手数料」(賄賂)太りで店員がバーキンやケリー以外の品を売ろうとしなくなるどころか、真っ当な仕事がバカバカしくなり、組織は腐敗する。

 そこで「金品や接待を要求された」「お礼の品は欠かせない」「思わせぶりなことを言って、散々買わされた挙げ句バッグは買えなかった」という噂が広まると、抱き合わせ販売に抵触するか否かの前に、企業・ブランドイメージが低下する。

 すなわちコンプライアンスの問題。

 上場企業においては特に重要であり、売上が89.92億ユーロ(現レートで1.3兆円)もある巨大企業にとって従業員の不正防止は最重要課題。

 経営者はどういう手を打つかというと、バーキンやケリーなどの人気商品の取り扱い権限を均一化し、販売実績に応じたインセンティブをなくす。

 ※私がAIによる「バーキンゴーランプ点灯」と推察するのはそういうことでもある。場合によっては顧客枠のバッグを売る・売らないの判断すら現場に権限がないかもしれない。

 要は役職者だからバーキンを優先的に扱えるとか(その結果、新人が育たず離職率が高まりスタッフが高齢化する)、去年沢山売ったから今年取り扱える枠が増えるとか(その結果、お布施の要求が横行する)、まずは「不正と崩壊の始まり」を断つことから始まる。

 自分自身が長い物に巻かれるしかないサラリーマン層は、店長やマネージャーなどの権限を持った人に媚びやすく名刺を欲しがる。自分にない力を補うため=生きる術だからしょうがない。しかしそれでは皆が店長やマネージャーからしか買わなくなるし、役付きスタッフが力を持ちすぎ制御不能に陥ってしまう。

 ということから、バーキンを餌に欲しくもない品を売りつけ、あたかも優秀な販売員かのように会社から報酬(インセンティブ)を得るということをなくす必要がある。

 いわゆるただの作業員化。

 ※売れ残っているシーズン物を早く売り切りたいことはあるだろう。売ったから成績になるかとはまた別の話。

 この場合「出世」の査定は、売った数よりペナルティの少なさや顧客の評判の方が重要かもしれない。例えばスタッフが販売したバッグが転売された(発覚した)率とか。

 評価手法はさまざまだが、不正のトライアングル(動機・機会・正当化)を断つという基本。

 ※ここでの「正当化」は、「客にバーキンへの道しるべを示している」(ことで客を喜ばせている)という店員の錯覚。

 よくエルメスのロゴ(馬車と従者)に対し「乗るのはお客様」という解説がある。実際そうなんだろう。馬車に乗るのは店員じゃない。

 これだけSNSで何でもぶちまける時代に、元エルメス店員という匿名情報が出回らないのは、秘密保持契約の拘束力によるものではない。スノーデンのように重罪承知で亡命までしてNSAの機密情報を漏らす時代に、エルメスの内部情報の漏洩は当たり前に起こりうることだが、それがない。

 上場企業のスキャンダルネタは買い手がつく。特にエルメスともなれば。

 それでもナイ。

 ということは、世間が考えているほど(?)腹黒い会社ではないということ。むしろ真面目過ぎてスタッフの方がつまらなくて(売ってもメリットがなくて)疲弊している可能性の方が高い。

 究極的には公務員レベル(笑)かもしれない。貴重な商品を客に届けるインフラを整備する事務・作業員的な。

 もちろん中には昔のブランドブティックの店員よろしく「私はエルメスの店員よ」という栄光浴を満喫しているスタッフは今でもいるかもしれない。特に地方は。

 或いはいくら売っても手取りが増えない腹いせに、媚びてくる客をいびってストレス発散しているような性格の悪いスタッフもいるかもしれない。

 はたまた「塩対応」の本当の理由は、「私に媚びられても、名刺を要求されても何もできませんよ」という心理の顕れかもしれない。実は根が優しく、雨の日も風の日も雪の日も訪れるエルパト客に何かしてあげたいと思う人ほど耐えられなくなり、心を鬼にするしかないだけかもしれない。言い換えると、子犬のように目が合った人から離れないエルパトスタイルが、スタッフに負担をかけて鬼(塩)化させているのかもしれない。

 エルメスと向き合う上で、“恋愛”モードはすすめない。

 日本企業と比べてみると規模感がわかりやすい。最新決算では売上高は電通やANA、資生堂を超え、JALの2倍。純利益ではゆうちょ銀行や日本たばこと並ぶ欧州の上場・巨大企業。ハイブランド業界における利益率は断トツ一位

 世界有数の最新鋭のビジネスモデルと対峙していることを忘れちゃいけない。

 ただバッグが欲しいだけなのにそんなこと考えなきゃいけないの?って話だが、本来考えなくても普通に買い物していればバーキンが回ってくる客層がエルメスの想定顧客なのであって、世間のエルパト組はその外にいる。だから恋愛モードで臨んでいるととてつもなく遠回りすることになる。

 というわけで、「エルメスは担当制なのか。その2」では、何で世間では担当制と信じられるに至ったのかを考えてみたい。

 ※現時点で担当制ではないという証拠を持っているわけではないので、自分自身が考えていた方向性と照らし合わせる程度に留めていただきたい。今後もありのままをレポートする。